院長の休日

福寿草

 今日は休診日。忙しかった春休みシーズンも終わり、陽射しも4月の春の陽気になりました。今朝は朝から天気が良かったのですが、昼前にはなんと春の雪が降ってきました。まだまだ油断できません。
 天気の良いうちに、家の玄関横に咲いた福寿草の写真を撮りました。フクジュソウはわが家で一番先に咲く花です。私はこのフクジュソウに想い出があります。
 小学校2年生の3月に、札幌の手稲金山(当時は札幌郡手稲町字金山栄町でした)から美唄市茶志内(ビバイシ チャシナイ)へ引っ越しました。私が生まれたのは、市立札幌病院です。7歳までは手稲に住んでいました。手稲に三菱砿業㈱の結核療養所があり、父がそこの薬剤師をしていました。結核患者が減少したため、美唄の炭鉱病院へ転勤になりました。
 子供心にも札幌を離れるのが寂しく、辛かった想い出があります。はじめて住んだ炭鉱の町は、驚くことがたくさんありました。まず、流れている川の水が真っ黒です。石炭を掘って、それを選炭といって質の良い石炭と悪いズリに分ける作業に水を使います。石炭を洗った水は上澄みを川へ流すので川が真っ黒になります。毎日、この黒い川と、石炭を積み出すために蒸気機関車がモクモク黒い煙を出しているのを珍しげに見ていました。
 小学校3年の担任は内海昭吉先生でした。学校の校門の近くに先生の家がありました。内海先生は理科の時間になるとよく山へ出かけました。
 美唄の山には福寿草が自生していて、春になるとこの福寿草を採りに行きました。まだ残雪が残っている沢を上がって行くと黄色い福寿草があります。完全に開ききっていないのを見つけて掘ってきます。
 私は山が好きだったので学校から帰ってきても、友だちの荒木田(アラキダ)くんとよく山へ福寿草やウドを採りに行きました。
 昔は教師に裁量権が多かったのでしょう。今なら理科の授業で毎回山へ行くなど信じられないことですが、小学生の私は、こうして自然科学に興味を持つようになったのだと思います。

自宅前の福寿草
(2007年4月5日)

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