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西高一年生の頃

 4月から新しい生活をはじめられた方も多いと思います。もう慣れましたか?私は、高校へ入学した15歳の時に、8年ぶりに札幌へ戻りました。西区八軒にあった家から宮の森の西高へ通いました。
 昭和45年4月8日が入学式だったように記憶しています。入学式の日に雪が積もりました。当時、八軒から西高まではバスで通学しました。八軒にフレッティというスーパーがあります。昔は大丸スーパーでした。デパートの大丸とは関係なく、アークスの横山社長が、最初にはじめられたスーパーの一つです。この大丸スーパーの前に市営バスの停留所がありました。八軒5条1丁目です。ここからバスに乗り、山の手一条通りで降ります。降りてから通称‘文化通’と呼ばれていた住宅街を10分ほど歩いて西高です。
 この市営バスが難物でした。まず、毎日満員でした。バスは新琴似方面から来るバスと、八軒中学方面から来るバスの2系統がありました。夕張の田舎から出てきて、この満員バスに乗るだけで疲れました。また、バスに乗ってもJR(当時は国鉄)琴似駅の踏切で引っかかりました。運が悪いとこの踏切で10分も待たされました。
 踏切で待たされると、当然遅れます。山の手一条通りに着いてから、少し上り坂になっている文化通をダッシュすることになります。英語の辞書やら教科書などが入った思いカバンを下げて、ダッシュすると本当に疲れました。現在、ロッテリアがある、山の手通りの交差点に着く頃にはヘトヘトでした。
 西高の授業も厳しかったです。特に厳しかったのが英語。中学ではそこそこ英語ができたと思っていたのですが、西高では下から何番目?みたいな感じでした。1年生の英語担当は鈴木徹先生でした。通称‘閻魔(エンマ)の鈴木’と呼ばれていました。最初の授業でちょっと隣の人に声をかけられ、ヒソヒソ話していたらいきなり叱られて立たされました。
 英語の授業では教科書を暗記させられました。What do you do when you come across a new or difficult word in your English reader? Do you ask your father? うろ覚えながら今でも最初の一節は覚えています。
 西高には意地悪な子やいじめっ子はいませんでしたが、毎日の授業で私はすっかり自信をなくして行きました。のちに、このエンマ先生に習ったことがとても役立つのですが、最初は‘何でオレが立たされんのョ?’と怒っていました。

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