昔の記憶
劔物修(けんもつおさむ)先生への想い
私は1980年(昭和55年)に札幌医大を卒業し、
その年に北大形成外科へ入局しました。
当時は今のような臨床研修制度はなく、
医学部を卒業したら、
そのままどこかの医局に入局するのが、
一番オーソドックスな道でした。
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札幌医大は北海道が設立した、
公立大学です。
北海道出身の学生が大部分でした。
その関係もあってか?
卒業生の大部分は、
そのまま自分が卒業した札幌医大へ入局しました。
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私のように…
北大へ行った卒業生は、
私を含めて4人でした。
北大を卒業しても、
札幌医大を卒業しても、
医師免許証は同じです。
どこの自動車学校で免許を取っても、
道路を走る時は同じです。
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ところが…
医師の世界は車の運転とは違います。
はじめて行った北大病院。
トイレの場所も、
検査室の場所も、
霊安室の場所もわかりません。
一番困ったのが…
他科の先生の顔がわかりません。
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『あの先生が…』
『国家試験出題委員の葛西先生だょ』
廊下ですれ違った時に、
小声で教えてくれたのが、
同期の井川浩晴(いがわひろはる)先生です。
北大出身の新人医師は、
講義や実習でお世話になっているので、
偉い先生の名前と顔がすぐにわかります。
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私は、
広い北大病院の中を…
迷子にならないように…
ただ同期や先輩の後を歩くだけでした。
たまに…
札幌医大の同期に会うと…
とても懐かしく思ったものです。
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医学部や医科大学には、
入試のランキングがあります。
一番、偏差値が高いのが、
東大理Ⅲ(りさん)といわれる東大医学部。
関東だと慶應医学部、
関西だと京大医学部が難関校です。
北海道では、
トップが北大医学部です。
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私も夢は北大でしたが、
学力が及ばず札幌医大へ入学しました。
偏差値が高い大学が…
いいお医者さんを育てるとは限りません。
ただ、
偏差値の低い札幌医大を卒業して、
偏差値の高い北大に入った私は、
北大の卒業生に負けたくない
北大の卒業生よりやぶになりたくない
…という想いがありました。
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簡単に言うと…
札幌医大はばかだなぁ~
…と思われたくない…
…とずっと思っていました。
今でもそう思っています。
だから学会へも行くし、
勉強もしています。
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北大形成外科は家庭的で…
とってもいい環境の医局でした。
恩師の大浦武彦先生は、
北大卒の新人も…
他大学卒の新人も…
まったく差別せずに教育してくださいました。
今でも感謝しています。
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そんなあたたかい医局で育っていた私でも、
やっぱり卒業したのは札幌医大です。
北大へのコンプレックスがありました。
北大で迷子にならず、
他科の先生の顔もわかるようになって、
チーフレジデントをしていた、
昭和60年11月に、
札幌医大の先輩である、
劔物修先生が北大麻酔科の教授に就任されました。
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札幌医大の卒業生は、
北大の臨床系教授には…
なれないと言われていた時代でした。
劔物先生と面識はありませんでしたが、
麻酔科の先輩から素晴らしい先生と伺っていました。
正直に言って…
劔物先生やったぁ~と喜んでいました。
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劔物先生が北大に赴任されてから、
苦労されていらしたのを見ていました。
それでも先生は、
北大病院での全身麻酔件数を
国立大学病院で
全国トップクラスの件数に押し上げられました。
大変なご苦労があったと思います。
もう少しお話しをしたかった…
…と残念に思っています。
心からご冥福をお祈りしています。