医学講座
くも膜下出血から回復_日本ハム小村球団社長
今日は2024年9月17日(火)です。
今朝の北海道新聞にとてもいい記事が出ていました。
Yahoo!ニュースで全国に流してほしいくらいです。
TCBの悪徳商法
直美ちょくびの先生
…などいい話題がありませんでした。
今日の道新のニュースはやっぱりお医者さんはすごいと思う記事です。
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2024年9月17日、北海道新聞の記事です。
ミラクル支えた新庄監督の手紙くも膜下出血から回復_日本ハム・小村球団社長が復帰へ
プロ野球北海道日本ハムとファイターズスポーツ&エンターテイメント(FSE)の社長、小村勝(こむら・まさる)さん(58)がくも膜下出血で倒れたのは6月10日のことだ。死の淵から「奇跡」と医師が呼ぶ回復を見せ、クライマックスシリーズ(CS)への戦いが佳境を迎える今月下旬、業務に復帰する。入院生活を支えたのは、新庄剛志監督(52)が手術直後に届けた直筆の手紙だった。
■死亡率50%強
「意識が戻ったら野球が観たいと思ってiPad(アイパッド)持って来てみました すぐに治ると思うので治ったら返して下さいね」。便箋はA5判。昏睡(こんすい)状態の小村さんを心配する思いが、新庄監督らしいユーモアでくるまれていた。
小村さんは倒れて数日後に目覚め、手紙を読んで目元をぬらした。「ほんまにありがたく、うれしくて支えられました」
6月10日正午。小村さんはエスコンフィールド北海道(北広島市)の球団事務所で歩行中、前のめりに突然倒れた。
自覚症状はなかった。2023年の社長就任からほぼ休みなく日本中を駆け回った。「健康に根拠なき自信と過信があった」
最初に搬送された病院には手術が難しいと断られた。死亡率50%超の重い症状。病院から球団関係者に深刻な現実が告げられる。「亡くなるかもしれません」。家族が本州から急ぐ。永遠の別れを覚悟した長女は機内でむせび泣いた。
転送先の札幌市東区の札幌禎心会病院には脳の名医がそろっていた。14時間の大手術は成功。球団、FSEの全役員が翌午前4時の終了まで見守った。「ファイターズ、病院のみなさんに命を救ってもらいました」。小村さんは感に堪えない。
新庄監督は何度も病院に通った。歯ブラシなどの入院セットを贈った。リハビリ中の転倒に気をつけてほしいと選手サイン入りヘルメットを届けた。「さぁリハビリ楽しんでいきましょう」と温かな言葉を書き添えて。
■ファンとの絆
リハビリは手術の1カ月後から。最初は立つこともできず「迷惑かけるから早く会社やめなあかん」と思った。でも新庄監督、球団オーナーの井川伸久さん(63)ら多くの人に背中を押された。
恩人の中には日本ハムファンもいる。病気前、来場者の声を知るためエスコンを毎日歩き、ファンとLINE(ライン)でつながった。「早く治してね」。病床に届いた多くのメッセージ。「こむさん」と書いた手作りボードを手にした人の写真もある。小村さんは社長の呼称を好まない。だからファンは、こむさんと呼ぶ。
留守を預かったFSE事業統轄本部長の前沢賢さん(50)は小村さんの復帰に備えて心を砕いた。
前沢さんは社長就任当初の小村さんを「人柄を知らないから信用できなかった」と明かす。仕事をするうち、思いは「180度変わった」という。「ファイターズのため北海道のため、私利私欲なく進んでいる人」。小村さんが車いすを使うかもしれないと考え、事務所のバリアフリー化に動いた。気遣いは、小村さんの不安を和らげた。
■後遺症ほぼなく
退院は8月中旬。後遺症はほぼない。歩行速度が少し遅くなったかなと感じる程度。医師から手術直後に言われていた。「復活できたらミラクル」と。それは起きた。
今は復帰に向け自宅で療養中。「死んだと思ってる人もいるんやない? 幽霊やないよ」。しゃれも戻った。
チームはパ・リーグ2位につけ、6年ぶりのCSまでもう一息。新庄監督は小村さんの復帰日を球団によく尋ねている。チーム統轄副本部長の岩本賢一さん(52)は6月に小村さん宛の手紙で伝えた。「一番大切な場面が来た時に、社長にいていただかねばなりません」。まもなくその勝負どころ。こむさんのミラクルには、続きがある。(須貝 剛)
さぁリハビリ楽しんでいきましょう
新庄剛志 ^^_.
(以上、北海道新聞より引用)
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今日は朝から最高に気分がいいです。
小村勝こむらまさる社長(58)がくも膜下出血から回復してよかったです。
札幌禎心会病院は、
脳神経外科医の徳田禎久とくださだひさ先生がつくられた病院です。
たくさんの優秀な先生がいらっしゃいます。
14時間の大手術が成功して、
ほんとうによかったです。
いい記事を書いてくださった北海道新聞社の須貝剛記者に感謝いたします。