昔の記憶
おやじのせなか〈石原慎太郎さん〉
平成24年6月7日、朝日新聞の記事です。
おやじのせなか
石原慎太郎さん
目の中のすす、なめてくれた
小学生のころだった。蒸気機関車の窓を開けていて、目にすすが入ると、目玉を舌でパッとなめて取ってくれた。他人が聞けば気持ち悪いかもしれないけど、親だから僕は甘んじた。こすったりせず、本当にすぐ取れたな。無類の子煩悩だった。
5、6年生になっても、よく風呂に誘われた。こちらは、ヘアも生えてきて、ちょっと恥ずかしいんだ。照れくさいけど、おやじが体を洗ってくれる。それで僕も「じゃあ、お父さん」と背中を洗った。一緒に入るのが楽しかった。
おやじは汽船会社で不定期航路を配船する名人の一人だった。中学3年生の頃、「小さなヨットを買って」とせがんだ。バカ息子にベンツを買うのとは違い、ヨットは免許を取っても努力しないと乗れない。横浜の金沢八景から、ヨットを載せたリヤカーが来たときは、何とも言えないときめきで、お嫁さんが来たような気持ちがしたよ。
手入れは兄弟で分担したけど、やがて弟が放蕩(ほうとう)を始めた。仕方なく僕が2人分をするけど、裕次郎の分はちょっと手を抜いちゃうんだ。おやじが梅雨時に、川に沈んでいるヨットを見つけて「売り払うぞ」と怒った。弟とずぶぬれで水をくみ、船を浮かしたこともあった。
おしゃれでね。ぜいたくな布地の背広を着たり、カンガルーの革靴を履いたり。パイプを吸い、酒を飲み、51歳で高血圧で亡くなった。おやじの遺(のこ)した背広は少し短めだったけど、学生時代、とてもありがたかった。
おやじが撮った写真は、僕らの後ろ姿が多い。幼いころに住んでいた北海道で、僕と弟が羊の群れに立ちすくむ姿、ピクニックで花を摘む姿。「こっち向いて」などと言わず、さりげない、子どもの本当の姿を撮っていた。なまじ正面を向いた写真より、その一日を思い出す。本当にいいスナップだったな。
いま声をかけるなら「私はこれでよかったんでしょうかね、お父さん」だね。「おやじの背中」じゃないんだ。僕はいつもおやじを正面から眺めていた。おやじも正面から見ていてくれた。(聞き手・藤森かもめ)
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いしはら・しんたろう 東京都知事。神戸市生まれ、79歳。一橋大学在学中に「太陽の季節」で芥川賞を受賞。俳優の故・石原裕次郎氏は弟。参院議員、衆院議員、環境庁長官、運輸相などを経て、現在4期目。
(以上、朝日新聞より引用)
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朝日新聞のおやじのせなかが好きです。
寺脇 研さんの記事を、
2008年6月15日に書いています。
いろいろな…
おなじのせなかがあります。
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私も息子とよく風呂に入っていました。
背中の流しっこはしませんが、
風呂の中でいろいろな話しをしました。
私の父親も『好きなことをしろ』
…と言っていました。
私も息子に同じことを言っています。
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石原伸晃さんは、
石原慎太郎さんのご子息です。
次回のおやじのせなかでは…
是非、石原伸晃さんに…
父の慎太郎さんを語っていただきたいです。
朝日新聞を楽しみにしています。
“おやじのせなか〈石原慎太郎さん〉”へのコメント
コメントをどうぞ
いいお話ですが、二人の息子に好きなことをしろとは中々いえませんでした。私も違うことがしたかったのですが父に許されませんでした。私は二人の息子に20歳くらいの時、耳にタコができるほど資格を取れといい続けてきたのですが、気づいたのは30前、、、遠くに言っても自分で決めたかぎりは国家試験に合格してりっぱな医療人になって欲しいものです。
【札幌美容形成外科@本間賢一です】
お二人とも立派なご子息です。おなじのせなかとおふくろのせなかをよく見ていらして、医療の道に進まれるのは立派だと思います。
交通事故の後遺症で入院してて
先生の日記からも遠ざかっていました。
こういうお話は癒されますね。
私には子供が居ないので、犬を相手に躾する程度。
気楽だけど、結構我が家の愛息は頑固で困ります。
玄関チャイムで吠えるのが困り物。
依然直りません。
その癖、甘えん坊。
それだけで手放しで慈しんで育てられます。
犬って特ですね。
犬に生まれたかったです。
自分の顔の老化も気にしないでいられますし。
容姿を気にするのは人間だけでしょうね。
一般に理想の職業に就かれたなら別ですが多くの親は 口出ししないという人は少ないと思うのは私だけでしょうか? 私も声優や 世界を旅する人になりたいと言われた時はなんて言ったらいいかわからない事がありました、ただ 世の中にまみれ ようやく気づく事もあります。 被災地の若い方々は 行きたい就きたい職業とか地域に行けずまだまだ大変だとおもいますが、一日も早い復興を祈念いたしております。