医学講座
ひとだすけ
平成24年6月20日、朝日新聞朝刊、天声人語です。
「ひとだすけ」の言葉を知っていたろうか。思わぬ事故で横たわる小さな体から、温かい臓器が摘出された。他の命を救う大仕事を終えたその顔に、父母は涙をためて、穏やかな笑みを投げかけたそうだ。
▼富山大学付属病院で6歳に満たぬ男児が脳死となり、移植のために臓器が供された。この年齢の子どもからは国内初の提供だ。心臓と肝臓はそれぞれ10歳未満の女児2人に移植された。
▼若い脳は回復力が強く、脳死の判定は慎重を要する。虐待の跡がないのを確かめ、最初の判定から丸一日あけて再判定する。幼児間の臓器移植が日本でも定着すれば、費用や体力面で負担が大きい「渡航移植」に頼らずにすむ。悲嘆の底で重い決断をしたご両親は「息子を誇りに思う」と記した。
▼男の子は、同世代の女児の体内で「生き」続ける。臓器を取り換えた彼女たちは、やがて恋をし、母にもなろう。人生の山谷(やまたに)が続く限り、坊やはその営みを、裏方で支えることになる。
▼「昨日と今日は、偶然並んでいただけでした。今日と明日は、突然並んでいるのでした。だから明日の無い時もあるのです」。飛行機事故で亡くなった坂本九さんに、永六輔さんが手向けた言葉だ。
▼偶然並んだ毎日には、不慮の悲しみも突然の幸(さち)もある。気まぐれに置かれた飛び石を曲芸のように渡り、命は明日へとつながる。わんぱく盛りの心臓と、汚れなき肝臓をもらい、少女たちは未来に歩み出した。会ったことも会うこともない恩人と、二人三脚の日々が待つ。
(以上、朝日新聞より引用)
■ ■
私は自分で臓器提供をする意思表示をしています。
組織すべてを提供します。
きたないじじいですが…
使えるところは使ってください…
何でも差し上げます。
…という気持ちです。
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私が腎バンクのドナーカードを持ったのは…
市立札幌病院に勤務していた30代でした。
腎移植に取り組む、
平野哲夫先生の姿を間近に見て…
救急医療部で…
脳死になった患者さんを見てからでした。
■ ■
当時、
私の息子は6歳くらいでした。
幼稚園に通っていて…
毎日楽しそうに遊んでいました。
家の前に川があって…
川に入って遊んだり…
栗の実を拾ってきたりしていました。
■ ■
当時の私でも…
子どもの臓器提供は考えられなかったと思います。
時代は変わりました。
ひとだすけという言葉は知らなくても…
男の子は、同世代の女児の体内で「生き」続けています。
■ ■
臓器提供を決断されたご両親、
お父さんとお母さんの、
双方のおじいちゃん、おばあちゃん。
どんなにつらい決断だったことでしょうか。
私の孫だったら…
両親の決定に従うだけです。
両親には…
お前たちが決めなさい
…と言うと思います。
■ ■
残されたじいちゃんとしては、
可愛い孫の遺影をながめて…
あぁ…
どこかで生きているんだ、
ひとだすけができたね。
きっと孫のことを誇りに思うと想像します。
亡くなった子どもさんのご冥福を、
心からお祈りしています。