昔の記憶
医師2年目
結婚式の写真を見て思い出しました。
当時の私は医師2年目でした。
奥さんは、
短大卒業後4年間勤めて…
専業主婦になりました。
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卒後2年目の私は、
医師としては…
何もできませんでした。
救急搬送された患者さんを診ても…
ただおろおろするような…
ひよっこ医師でした。
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形成外科医とは名ばかりで、
大学病院の業務は、
検査の伝票を書いたり
(昔の検査オーダーは手書きでした)、
処方箋を書いたり
(処方箋も手書きでした)、
患者さんの写真を撮ったり
(これだけは自信がありました)、
医師とは関係のない業務でした。
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手術室では、
メスは持てませんから、
術野の消毒をしたり、
被布(おいふ)という布をかけたりするのが、
新米医師の仕事でした。
カンファレンスの資料を揃えたり、
患者さんのスライド整理も、
重要な仕事でした。
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上の先生が手術した患者さんの、
ガーゼ交換をしたり、
軟膏処置をしたりするのが、
新米形成外科医の仕事です。
最初から、
切ったり縫ったりはできません。
今から考えると、
こうした時間があってよかったと思います。
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先輩が手術をしても、
経過が良い患者さんばかりではありません。
困った時にどうする?
どう対処する?
…という…
教科書に書いていないことを、
身をもって体験できるのは、
こんな時しかありません。
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北大形成外科は、
大浦武彦先生を頂点として、
優秀な先輩がたくさんいらっしゃいました。
卒後2年目の私が得意だったことは、
やけどの患者さんの風呂入れでした。
熱傷浴室という日記に書いてあります。
若い女性の顔にメスをいれるなんて…
とても考えられませんでした。