昔の記憶
劔物 修(けんもつおさむ)先生の想い出
私が劔物先生とご一緒だったのは、
劔物先生が東邦大学から北大へ赴任された直後でした。
毎週金曜日に、
北大病院の中央手術部で、
手術場会議(しゅじゅつばかいぎ)がありました。
各科が…
翌週の手術予定を持ち寄って、
調整する会議です。
■ ■
麻酔科研修の想い出④に書きました。
手術室看護師の数や、
麻酔科医の数には限りがあります。
全ての科の手術や麻酔を引き受ける、
人的な余裕がありませんでした。
■ ■
今はどうかわかりませんが、
看護師さんの数が足りないので…
直接介助は無しでお願いします。
【2名の看護師がつくところを1名にしてください】
とか
この手術は次週にまわしてください。
という調整の会議でした。
この会議に出るのが、
形成外科ではチーフレジデントでした。
私も半年間出席しました。
■ ■
劔物先生は、
札幌医大卒業生として、
はじめて北大医学部の臨床系教授に就任されました。
私たち札幌医大の卒業生としては、
とても名誉なことでした。
しかし…
劔物先生が赴任されてからは大変でした。
■ ■
麻酔科医の数は少なく、
依頼されたすべての手術の麻酔を、
安全にかけるのは大変なことです。
ある日の手術場会議で…
麻酔科医局長だった佐々木先生が、
申し訳ございませんが…
この手術は無理…と言いかけたところ…
新任の劔物教授が、
その麻酔は私がかけますから
引き受けてください
と言われたのを…
今でもはっきり覚えています。
■ ■
劔物先生は、
手術場では厳しい先生でした。
優秀な麻酔科の先輩ですら、
『劔物先生からがっつり怒られた』
…と伺ったことがありました。
眼鏡の奥に鋭い目がありました。
その鋭い目のさらに奥には…
とても優しい目がありました。
3月28日が命日です。
心からご冥福をお祈りしています。
【訂正】
今まで札幌医大同窓会名簿と北大医学部の記載を見て、けんもつ先生を劒物と表記していましたが、劔物の誤りでした。
先生ごめんなさい。