医学講座
上山博康先生の『お言葉ですが、反対です』
2012年2月27日の院長日記でご紹介した、
北海道新聞夕刊に連載中の、
旭川赤十字病院脳神経外科部長の、
上山博康先生の私のなかの歴史。
今日ご紹介するのは、
平成24年2月27日に掲載された内容です。
若い先生にも読んでいただきたいので、
また引用させていただきました。
■ ■
人生を手術する「匠の手」―⑨
旭川赤十字病院脳神経外科部長
上山 博康(かみやま ひろやす)さん
北大を去る
患者の死を機に主張貫く
1985年、秋田から北大脳神経外科に助手で戻りました。36歳でした。すぐに関連病院の部長で出る約束でしたが、行き先が次々と消え、翌1986年には講師となり、大学に残っていました。教授は都留美都雄先生(故人)から阿部弘先生(現北大名誉教授)に代わっていました。
北大に戻った当初、手術があまり当たらない時期がしばらく続きました。朝から部屋で基礎論文を読み、手術で使う器具を作りました。「上山式」と呼ぶ一連の器具で、刃の薄いハサミが有名です。「上山式マイクロ剪刀(せんとう)ムラマサ」。脳外科医の間では全国で一番売れています。
北大の脳神経外科は「腫瘍」「脊髄」「血管障害」の3班に分かれ、卒業後の6年間の研修医が終わると、どこかの班に属し、研究や臨床を続けます。僕は血管障害班のチーフ。戻ったころは僕一人でしたが数年すると最大の班になり、僕も数多くの手術をこなすようになりました。「次の教授は上山だ」。そんな声も聞こえてきました。
ところが、ちょうどそのころです。僕に大学を去る決意をさせたある出来事が起きました。
脳腫瘍の42歳の男性患者です。何回手術をしてもうまくいかなかった。妙に気が合い、いろいろな話をした患者でした。僕は、腫瘍に行く血管に特殊な接着剤を流し、腫瘍を内側から壊死(えし)させる作戦を立てた。呼吸など生命維持をつかさどる脳幹に接着剤が行かないよう、腫瘍から出る血管にクリップを2本かけてふさいでから、接着剤を注入した。当初はその血管を糸で縛るつもりでした。でも上司の指摘でクリップにしたんです。
全てがうまくいったはずでした。「様子がおかしい」と手術室に呼ぱれ、顕微鏡をのぞいた瞬間に「だめだ」と思った。脳幹に接着剤が入っていた。クリップが緩んで漏れたんです。患者は亡くなりました。控室に戻っても、講師室に帰っても、自分の居場所がない。「息子が2人いてね…」と話す、患者の笑顔が目に浮かんできました。
僕は家族に土下座して「全て私が悪かった」と謝りました。奥さんは泣き崩れました。確か中学2年生の長男が、涙を浮かべてこう言ったんです。「お父さんは、先生のことを大好きだと言っていた。その先生が一生懸命やった結果だから。悔しいけど、悲しいけど、今はどうこう言ってもしょうがない。良いとか、悪いとか、言えない」。胸に刺さる言葉でした。
思い出すと今でも涙が出るほど悔しい出来事です。それから、僕は生き方を変えたのです。
本音を言うと、僕は教授になりたかった。大学にいたら教授は夢です。だから、上司の言うことが自分の意にそぐわなくても、逆らわずにきた。あの手術も予定通り、血管を糸で縛れば絶対に漏れなかったんです。
患者を失ったことで、僕に心の声が聞こえました。「そこまでして教授になりたいのか」「今のおまえは患者にとって良い医者か」「良い医者とは何か、考え直した方がよいのでは」。患者は常に命がけで、僕ら医者に真実を教えてくれるのです。
「お言葉ですが、反対です」。僕は教授に自分の考えを言うようになった。そうなると大学にいられる日は長くない。92年4月、助手や講師を7年務めた北大を追われるように去り、旭川赤十字病院に来ました。43歳でした。(聞き手・岩本進)
(以上、北海道新聞から引用)
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医者の間で出世とは…
大学に残って教授になること…
…と考えられています。
確かに学会のトップは各大学の教授です。
街中の開業医が…
学会の理事長になることはありません。
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上山先生と私では立場が違いすぎますが…
この文章を読ませていただき…
上山先生でも…
教授になりたかった時期があったのだなぁ~
…と思いました。
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同じ北大でも…
私がいた形成外科は…
『お言葉ですが…』
…を言える医局でした。
大浦武彦先生は、
部下の意見にも耳を傾けてくださいました。
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その証拠に…
新人の頃から『お言葉ですが…』を言っていた、
山本有平先生が、
現在、北大形成外科の教授です。
山本教授は日本形成外科学会のリーダーの一人として、
学会を牽引しています。
■ ■
今の北大脳神経外科教授は、
私と同年代の寳金清博(ほうきん_きよひろ)先生です。
とても優秀な先生です。
寳金先生でしたら、
部下の『お言葉ですが…』にも、
しっかりと耳を傾けると思います。
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私が若い先生に伝えたいのは、
教授でも、
開業医でも、
素晴らしい先輩の…
良い言葉には…
しっかりと耳を傾けて、
何が患者さんのためになるかを、
しっかり判断すべきだということです。
私の記憶が正しければ…
寳金教授は上山先生の弟子の一人だったはずです。