医学講座
上山博康先生の「宝刀」伝承
2012年2月27日の院長日記
2012年3月1日の院長日記
でご紹介した北海道新聞夕刊に連載された、
旭川赤十字病院脳神経外科部長、上山博康先生の
私のなかの歴史。
平成24年3月3日が最終回でした。
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私のなかの歴史
人生を手術する「匠の手」-⑯
旭川赤十字病院脳神経外科部長
上山博康(かみやま ひろやす)さん
「宝刀」伝承
思いの詰まった技次代ヘ
僕は最近、難しい手術に当たって、患者に必ず確認することがあります。まず、一番治りたいのは患者です。次に、治ってほしいと思っているのは家族です。3番目に、僕ら医者がいる。治したいから医者をやっている。それを忘れないでほしい。
治りたい人、治ってほしい人、治したい人。3者が共同して立ち向かわねば難敵は克服できません。例えば、手術は僕ら医者の出番だ。患者が無事に帰れるよう全力を尽くす。でも、後遺症が残ることもある。術後のリハビリは患者の出番です。だが、くじけたりすることもある。その時は家族の出番になる。励まし、サポートするんです。
きょうの手術も難しかったが、うまくいきました。こうした時、僕は患者や家族に「何とかやれたと思います。おめでとうございます」と必ず言います。至福の瞬間です。「外科医の凱旋(がいせん)」と僕は呼んでいます。
今、外科医はなり手が少ない。確かにきついし、訴訟のリスクもある。でも楽しいこともたくさんある。若い先生はぜひ外科医となって、この感覚を味わってほしいと願っています。
僕はテレビに出るようになって「スーパースター」とか「神の手を持つ」とか言われています。面はゆくて、自分の柄に合わない。だから「違います。匠(たくみ)の手です」と言うんです。
「匠の手」。これは与えられたものではありません。師匠に厳しく教えられ、夜通し自分でトレーニングして得たものです。だから「神の手」には遠く及ばないかもしれません。
だけど、匠の手は伝承できます。自分が学んだのと同じように、後輩に伝えることができます。神の手はその人間が死んだら死ぬ。でも匠の手は後輩が僕の技術を伝承していってくれるから、僕の手は死なない。
「神の手は死ぬけれど、匠の手は死なず」匠の手は、自分の力だけでなれたわけではありません。導いてくれた人がいたからなれたのです。伝家の宝刀ではないが、諸先輩の思いが詰まった技術を受け継いでいる。重いんです。伝統の重みです。僕はね、それをもっと重くして、後輩に渡そうと思っています。とてつもなく重くしてね。その重さは、患者の命の重さになるんですよ。
この4月から僕は二足のわらじを履きます。札幌市東区に新設される、禎心会脳疾患研究所の所長に就任します。旭川赤十字病院は、非常勤の脳神経外科顧問になります。
旭川赤十字はあと2年、65歳で定年です。もう一つ、札幌にも診療や手術をする患者の受け皿をつくりたいと考えていと考えています。全国から集まる若い研修医もそこで育てます。もちろん旭川赤十字でも従来通り、週1回の外来も、手術も、続けます。基本的には今と変わりません。
僕はこれまで「本当に満足」と、自信を持って言える生き方をしてきました。幸いにも僕を慕ってくれる後輩が全国にたくさんいます。彼らが今の僕と同じ年齢、63歳になった時、僕と同様、「満足」と言えるような生き方をしてほしいと願っています。そうなることが、たくさんの患者の幸せへとつながるからです。 (聞き手・岩本進)
=おわり=
(以上、北海道新聞から引用)
一生懸命やればやるだけ感謝される。尊い仕事だと思います。
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私には「匠の手」はありませんが、
先輩から教えていただいた技術、
友人から学んだ技術、
国内や海外の学会で学んだ技術があります。
ライブサージャリーも勉強になりました。
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形成外科や美容外科は、
命にかかわることはありません。
逆に手術で命を落としては大変です。
脳神経外科とは比べものになりませんが、
私たちも実験動物で練習をして…
顕微鏡下の手術を学びます。
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美容外科や形成外科も…
一生懸命やればやるだけ感謝されます。
外科医としてうれしいのは…
患者さんから感謝された時です。
若い先生が…
なんちゃって美容外科医ではなく…
真の意味での外科医を目指してほしいです。