院長の休日
大丸札幌店長_柚木和代さん
平成24年4月6日、北海道新聞朝刊の記事です。
新人だったころ
大丸札幌店長 柚木和代(ゆのき・かずよ)さん(51)
突破口開くのは自分
店長になった時も執行役員になった時も社内では「女性初」と言われながら働いてきました。新人時代は考えてもみなかったことです。大学でテザインを学んだので広告をやりたいと思い、百貨店に入りましたが、今も昔も最初は売り場からです。研修後、開業したての梅田店(大阪)の紳士洋品売り場に配属されました。
新人の1ヵ月はめまぐるしいけれど、任される仕事は単調なもの。何でもやれそうな気でいたのに、現実とのギャップに直面しました。開店前の雑巾がけをしながら、「こうしていて、いつか人生が切り開かれるんだろうか」と焦りました。
入社5年で転機
2年後、宣伝部に移っても今度は「百貨店を動かしているのは現場では」と悩み、他人が生き生きと見えて仕方ありませんでした。でも入社5年目、転機が訪れました。従業員食堂の前に大丸フランスでの研修生募集の張り紙があったのです。
要件は満たしていませんでしたが、大胆にも「私なら学ぶだけでなくこんな貢献ができる」と訴えて合格。1988年から1年間、革命200年祭に沸くパリで夢中で見聞を広めました。
この時集めた情報を雑誌風にスクラップしていたのが注目され、今度は女性初の海外駐在員に声がかかりました。突破口を開くのは他の誰でもない、自分の行動だと痛感しました。
組織には○○畑一筋という人もいます。私はそうではなく、常に″新人″でした。30代半ばでマネジャーとして売り場に出た時は右も左も分からず戸惑いましたが、心掛けたのは、知らないものは素直に教わるということでした。
ツボを押さえる
もう一つは、仲間と認めてもらうためのツボを押さえることです。パリではフランス語を習得し、マネジャーになった時は必死でレジ打ちを覚え、店長になると、従業員食堂でおしゃべりしながら皆の顔と名前、プロフィルを頭にたたき込みました。
百貨店は人気商売。就活生には「友達に大丸を受けると言ってごらん。向いてるよ、と言われたら挑戦してください」と言います。仲間に愛されないで、お客さまに愛されるわけがありませんよね。
雑巾がけにもんもんとしていたころ、新人研修での助言を思い出して、初めてのお客さまに礼状を書きました。ドキドキしながら接客し、何度も書き直した手紙を、本当に喜んでくださいました。
やりたいことにとらわれていた私が、お客さまとのやりとりで満たされることを学んだ。つらいとき支えになる体験は、日々の仕事の中にあります。今日まで続けてこられた原点として、30年たった今も思い出すのです。
(聞き手・寺町志保)
1960年東京生まれ、兵庫県西宮市育ち。京都精華大美術学部を卒業後、大丸入社。パリ駐在などを経て2004年、初の女性店長(兵庫・芦屋店)に。2008年1月から札幌店長。2009年に年間売上高で道内百貨店首位に導いた。大丸松坂屋百貨店執行役員。
「百貨店で働く者として、好奇心は大事。去年はKホップのライブにも随分行きました」と笑う柚木和代さん
(以上、北海道新聞より引用)
柚木和代(ゆのき・かずよ)さん(51)
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以前から…
不況の札幌で…
前年比売上をUPしている…
大丸札幌店の女性店長さんは…
どんな方なのだろう…?
…と思っていました。
新聞を見た印象は…
若い
きれい
■ ■
記事を読んで感じたことは…
なるほど
これじゃ、おじさん店長はかなわないなぁ~
はっきり言ってすごい。
51歳で…
大丸松坂屋百貨店執行役員です。
■ ■
私がすごいと感じたのは…
大丸フランスの研修生に募集し…
パリでフランス語を習得というところです。
ふつうの女の子にはできません。
現地の生活に慣れるだけでも大変です。
常に好奇心を持って…
いつも前向きに生きる人だと感じました。
■ ■
こんなに素晴らしい店長さんでも…
新人の頃は…
焦り
悩み
他人が生き生きと見えて仕方ありませんでした
…と書かれています。
■ ■
今は何もできない…
新人医師や看護師のみなさんも…
努力を続ければ…
必ず得るものがあります。
自分が満たされるのは、
お客さまに喜んでいただけること。
日々の仕事の中にあります。
医療も同じです。
患者さんに感謝されるように…
がんばりましょう。