昔の記憶
茶志内に寄ってきました
今年のGW最後は、
小学校を卒業した、
美唄市びばいし
茶志内ちゃしない
…に寄ってきました。
正確に言うと、
日東にっとう
…という炭鉱あった地域です。
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旭川の北邦野草園からの帰り道は、
高速道路を通らずに、
下の道(一般道)を通ってきました。
国道12号線です。
立派な道になっていました。
札幌医大形成外科の時に、
当直のアルバイトに行っていた、
滝川市江部乙たきかわしえべおつの
若葉台病院の横も通りました。
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若葉台病院には、
関川さんという親切なおばちゃんがいらして、
とてもお世話になりました。
私と同姓同名で、
誕生日まで一緒の、
本間賢一さんのお嬢様とお会いしたのも、
この若葉台病院でした。
美人で優秀な看護師さんでした。
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茶志内は変わっていました。
昔のまま残っていたのは、
茶志内炭山郵便局ちゃしないたんざんゆうびんきょくと数軒の家だけ、
高速道路ができて、
新しい道路ができて、
50年の歳月を感じました。
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私は小学校3年生から、
中学校1年生の5月まで、
美唄市茶志内日東富の郷にっとうとみのごう
…に住んでいました。
今から考えると、
富の郷とみのごうなんて、
すごい名前です。
三菱鉱業の人が付けたのでしょうか?
もうかったてたんでしょうか?
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子供だった私は、
仲良しだった荒木田和生あらきだかずお君と、
よく小川で魚を釣ったり、
網ですくったり、
近くの山へ行って、
春は福寿草、
秋にはきのこを採りました。
楽しい少年時代の思い出です。
私が山や自然が好きなのは、
この頃の体験のためかもしれません。
向かって左は、荒木田和生くんです