昔の記憶
没後一年_渡辺淳一の世界
平成27年5月16日、朝日新聞北海道版の記事です。
北の文化
渡辺淳一の世界をたどる
苫名直子
北海道立文学館主任学芸員
文学へ導いた出会い・旅心誘う展示も
北海道が生んだ大ベストセラー作家・渡辺淳一。没後1年を迎えた今、道立文学館では渡辺淳一の世界を紹介する特別展を開催している。
展示担当を拝命したある日、企画者である副館長からA4判127枚の分厚い資料を渡された。展示構成のアイデアや引用文、写真が詰まったものだ。当然それに関連した自筆原稿、掲載誌、著書など数多くの借用・館蔵の資料が控えている。膨大な量だ。それに比して、展示スペース180平方㍍足らず。まずは途方にくれた。可動壁、ケース、画像投影などを可能な限り動員して、チームで検討を重ねた。結果「よくもここまで」と言うべき、かなり欲張った展示が実現した。
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とりわけ「文豪の仕事場」のコーナーでは、実際に使用された机と椅子、筆記具、着物や愛用の将棋セットなどを渡辺家より拝借し、再現風に展示している、作家の存在を身近に感じていただける一角である。
そして今回一番の特色となっているのは、「『白夜』の青春を往く」と題された、若年期・北海道時代にスポットを当てたコーナーだ。『白夜』5部作ほか、『影絵』『阿寒に果つ』『何処へ』に注目しながら上京以前の曲折に分け入り、札幌南高生時代の同級生・加清純子との恋と彼女の死、医学の道に入ってからのさまざまな悩み、とりわけ炭鉱病院勤務での壮絶な体験、そして医学と文学の間で揺れ動く若者の葛藤の軌跡が示されている。
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その中で、北海道を代表する2人の文学者との出会いは、特に注目をひく。1人は船山馨。その温かい励ましが、渡辺淳一を作家の道へ向かわせる大きな力となった。『白夜』の中では船村先生として登場し、「北海道の作家では、君に一番期待しているよ」と激励。「大柄な躯(からだ)に似合わず目が優しくて、先生と話しているだけで気持が和んだ」と描写されている。会場には、船山が亡くなった時に渡辺が読んだ弔辞が展示されている。あふれくる哀惜の思いを巻紙に一気に書きつづったことがうかがえ、この恩師を慕う気持ちの深さを感じさせる。
もう1人は伊藤整だ。純文学を目指していた渡辺が中間雑誌からの執筆依頓に応じるぺきかどうか迷っていた時に、「あの雑誌に書いたら、君の名前は無料で全国に宣伝してもらえるのですよ」「すぐ、お書きなさい」ときっぱり言い放ったのが伊藤であった。その言葉がなければ、後年のヒットメーカーとしての渡辺は存在していなかったであろう。ほかにも札幌医大整形外科時代の主任教授で、渡辺の執筆活動に理解を示した詩人の河邨文一郎、渡辺が上京する際の励ます会で「どうしてお金になる医師をやめて、貧しい作家になりたいのか」とあいさつして場内を湧かせた原田康子ら、いずれも作品中には仮名で登場するが、まさに北海道文学の重鎮が次々と立ち現れ、運命を導いていくのである。
人的交流もさることながら、北海道の風土がその創作に染み渡っていることにも改めて気づかされる。「北海道を描いた作家渡辺淳一」のコーナーでは、作品に登場する道内各地に注目。地図と引用文とイメージ写真により、渡辺文学とともに旅気分を味わえる。また10人のヒロインに注目した画像プログラムでは、彼女たちの描写、セリフなどが渡辺文学一流のロマンチシズムを漂わせる。そのロマンの気質も、元をたどれぱ『白夜』の北海道時代に根があるかもしれない。北海道をキーワードに、渡辺文学により親しんでいただく機会となれぱ幸いである。
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1962年、神奈川県生まれ。著書に『画家たちの札幌 雪と緑のメモワール』。
「没後1年 渡辺淳一の世界」展は道立文学館で6月21日まで開催。
=道立文学館
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渡辺淳一先生は、
札幌医大の先輩です。
予備校生の頃に、
よく渡辺先生の本を読みました。
うちの奥さんとはじめて会った時に、
渡辺淳一さんの本を読んでいると、
意気投合したのを覚えています。
リラ冷えの街のような初期の作品です。
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初期の渡辺先生の作品は、
晩年のとは違って…
医師の世界を書いたものが多かったです。
渡辺先生は、
私の父が勤務していた、
三菱大夕張炭鉱病院に、
整形外科医として出張にいらしてました。
私の父も話したことがあるそうです。
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今朝の朝日新聞を読んで、
道立文学館に行ってみたいと思いました。
〒064-0931 札幌市中央区中島公園1番4号
開館時間:9:30~17:00
(展示室入場は16:30まで)
月曜日が休館日のようです。
渡辺淳一先生のご冥福をお祈りしています。