昔の記憶
富田忠雄さんをしのぶ会
平成27年11月11日(水)、北海道新聞朝刊の記事です。
ラベンダー偉大な功績 富良野で600人、富田さんしのぶ
【富良野】7月に83歳で亡くなった上川管内中富良野町の観光農園「ファーム富田」の前社長、富田忠雄さんをしのぶ会が11月10日、富良野市内で開かれ、約600人が参列した。
富田さんは1958年から同町内でラベンダー栽培を開始。70年代前半、合成香料の普及などでラベンダーオイルの価格が下落しても花畑を守り、年間100万人以上が訪れる観光農園に育て上げた。
会場では、ラベンダー畑の中でほほ笑む富田さんの写真が飾られ、祭壇は美しい紫色の花々で彩られた。毎年、富田さんが来場者向けに手書きしていたという、ラベンダーへの思いをつづった言葉なども掲示された。
中富良野町の木佐剛三町長は「ラベンダーを通して町や北海道を有名にしてくれた偉大な功績を、これからも大切に守りたい」と話した。
(以上、北海道新聞より引用)
平成27年11月11日(水)、朝日新聞朝刊、北海道版の記事です。
ラベンダー永遠に咲け
故富田忠雄さんしのぶ会
花の街・富良野で関係者
中富良野町の「ファーム富田」創業者で、7月に83歳で亡くなった富田忠雄さんをしのぶ会が11月10日、富良野市で聞かれた。写真やラベンダーについて書き残した書などが展示され、訪れた大勢の関係者が、富良野地方が全国に知られる礎を築いた故人をしのんだ。
富田さんは中富良野町で1958年から香料用としてラベンダー栽培を始めた。安価な合成香料が出回って他の農家が次々と手を引く中でも栽培を続け、観賞用に生かす道が開けた。
「残念で口惜しく(くやしく)てなりません。長雨で枯れてしまいました」「今年のラベンダーはすばらしい」―――。
富田さんが書にしたためた言葉からは、ラベンダーヘの愛情がうかがえる。
ファーム富田で35年間、夏場のパートを続けている女性(67)は、書を見ながら「ラベンダーが売れなくなったころ、富田さんが畑をつぶそうとトラクターで入ったのに、つぶせずに戻っていった様子を思い出す」と懐かしんだ。
富田さんと30年以上の親交がある前野仁志・同町商工会長は「ラベンダーを本当にいとおしそうに見ていた。農業だけの街が花の街になったのは富田さんのお陰です」と惜しんだ。
(渕沢貴子)
(以上、朝日新聞より引用)
■ ■
私は仕事で参列できませんでした。
心からご冥福をお祈りしています。
富田忠雄さんにはラベンダーを愛する心がありました。
決してもうけ主義ではありませんでした。
押し売りもありませんでした。
入園料無料。
駐車料金も無料です。
私は、
【御礼】に毎年カレンダーを買って帰りました。
■ ■
ファーム富田には、
富田忠雄さんが筆で書かれた説明がありました。
大きな字で、
達筆で読みやすい字でした。
草取りが大変だと知りました。
観光客が来園する前の、
早朝から草取りをすると知りました。
とにかく素晴らしいところです。
心からご冥福をお祈りしています。
富田忠雄さんありがとうございました。