医学講座
脱毛の歴史2015
毛というのは厄介です。
生えてほしくないところに生えて、
生えてほしいところに生えません。
生えてほしくない人に生えて、
生えてほしい人に生えない、
じつに困ったものです。
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私は個人的に、
美容外科で、
1990年代最大の発明は、
レーザー脱毛機器だと思います。
日本にはじめてレーザー脱毛機が来たのは、
私がJA帯広厚生病院に勤務していた時でした。
日本医学脱毛学会の会場でした。
松本敏明先生が会長でした。
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形成外科の進歩③【脱毛治療】
2011年4月21日の院長日記に書いてあります。
私が形成外科医になった30年前、
形成外科で脱毛を専門にしている先生は、
お一人しか覚えていません。
浜松の小林敏男先生です。
古い日本医学脱毛協会HPで
紹介されています。
当時の脱毛は、
針を使って電気で毛根を焼いていました。
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針に電気を通して焼くのです。
この時に皮膚も焼けてしまい、
脱毛後に赤くなったり、
色素沈着になったりするのが難点でした。
小林先生は、
針をコーティングして、
針先だけに通電する工夫をしていらっしゃいました。
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学会で、
針のコーティングを先から何㎜からにするとか、
どうしたらコーティングが剥がれない?
というご発表を聞いたことがありました。
一本いっぽん毛穴に針を刺して、
フットペダルを踏んで、
通電するという治療でした。
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今のレーザー脱毛と比べると、
とても時間がかかっていました。
熟練した看護師さんが施術しても、
通電する時には痛みがありました。
料金も高く、
両脇を脱毛すると、
数十万円もかかっていました。
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この脱毛を夢のように変えたのが、
平成9年(1997年)に、
輸入された医療用脱毛レーザーです。
株式会社ジェイメックの創業者で、
初代社長の故森下純一さんと、
現社長の西村浩之さんが、
三井物産と米国から輸入されました。
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(平成9年)1997年2月2日に、
東京都渋谷区千駄ヶ谷の津田ホールで
札幌スキンケアクリニックの松本敏明先生が
日本医学脱毛学会を開催されました。
この時に、
米国製のレーザー脱毛機をはじめて見ました。
『先生、これすごい機械』
…という森下社長のお言葉通りでした。
最初の機器は大人気で、
納期半年待ちでした。
私の左腕と、
左すねに照射しました。
今でも毛が生えていません。
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当時のレーザー脱毛器はとても高価でした。
一ドル130円以上だったと記憶しています。
日本に輸入すると、
一台3,000万円以上しました。
札幌で一番早く導入されたのが、
皮膚科の山家英子先生でした。
武藤靖夫先生(札幌中央形成外科)が、
札幌で2番目でした。
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今では、
レーザー脱毛があたりまえですが、
当時は、形成外科の偉い先生から…
レーザーで毛が抜けるわけがない!
絶対にまた生えると言われました。
その後、
レーザー脱毛機も進歩しました。
札幌美容形成外科で使っているのは、
冷却ガスが出るタイプのGentle Lase(キャンデラ社製)
という機種です。
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レーザー脱毛の原理は、
黒い毛にだけ反応するレーザー光で、
毛を焼いて破壊する治療です。
ですから、
日焼けしている肌には照射できません。
無理に照射すると、
皮膚も焼けてしまいやけどをします。
医療機器で行う医療行為です。
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レーザー脱毛は驚くほど普及しました。
同じ機械を使っても、
照射方法によって効果が微妙に違います。
エステでも、
光脱毛やレーザー脱毛をしているところがあります。
厚生労働省は、
エステで毛乳頭を破壊する治療を禁止しています。
脱毛治療は、
信頼できる医療機関で受けてください。
借金と毛だけ残るような施術は詐欺です。