医学講座
形成外科の進歩③【脱毛治療】
4月下旬というのに…
札幌では寒い日が続いています。
昨日に引き続いて、
形成外科の進歩について書きます。
毛が少なくて悩む人がいれば、
多くて悩んでいる人もいます。
男性にも多毛で悩む人がいます。
世の中うまくいかないものです。
■ ■
私が形成外科医になった30年前、
形成外科で脱毛を専門にしている先生は、
お一人しか覚えていません。
浜松の小林敏男先生です。
古い日本医学脱毛協会HPで
紹介されています。
当時の脱毛は、
針を使って電気で毛根を焼いていました。
■ ■
針に電気を通して焼くのです。
この時に皮膚も焼けてしまい、
脱毛後に赤くなったり、
色素沈着になったりするのが難点でした。
小林先生は、
針をコーティングして、
針先だけに通電する工夫をしていらっしゃいました。
■ ■
学会で、
針のコーティングを先から何㎜からにするとか、
どうしたらコーティングが剥がれない?
というご発表を聞いたことがありました。
一本いっぽん毛穴に針を刺して、
フットペダルを踏んで、
通電するという治療でした。
■ ■
今のレーザー脱毛と比べると、
とても時間がかかっていました。
熟練した看護師さんが施術しても、
通電する時には痛みがありました。
料金も高く、
両脇を脱毛すると、
数十万円もかかっていました。
■ ■
この脱毛を夢のように変えたのが、
平成9年(1997年)に、
輸入された医療用脱毛レーザーです。
株式会社ジェイメックの創業者で、
初代社長の森下純一さんと、
現社長の西村浩之さんが、
三井物産と米国から輸入されました。
■ ■
(平成9年)1997年2月2日に、
東京都渋谷区千駄ヶ谷の津田ホールで
札幌スキンケアクリニックの松本敏明先生が
日本医学脱毛学会を開催されました。
この時に、
米国製のレーザー脱毛機をはじめて見ました。
私の左腕と、
左すねに照射しました。
今でも毛が生えていません。
■ ■
当時のレーザー脱毛器はとても高価でした。
一ドル130円以上だったと記憶しています。
日本に輸入すると、
一台3,000万円以上しました。
札幌で一番早く導入されたのが、
皮膚科の山家英子先生でした。
私と武藤靖夫先生が、
札幌で2番目でした。
■ ■
今では、
レーザー脱毛があたりまえですが、
当時は、形成外科の偉い先生から…
レーザーで毛が抜けるわけがない!
絶対にまた生えると言われました。
その後、
レーザー脱毛機も進歩しました。
札幌美容形成外科で使っているのは、
冷却ガスが出るタイプのGentle Lase(キャンデラ社製)
という機種です。
■ ■
レーザー脱毛は驚くほど普及しました。
同じ機械を使っても、
照射方法によって効果が微妙に違います。
エステでも、
光脱毛やレーザー脱毛をしているところがあります。
厚生労働省は、
エステで毛乳頭を破壊する治療を禁止しています。
脱毛治療は、
信頼できる医療機関で受けてください。
“形成外科の進歩③【脱毛治療】”へのコメント
コメントをどうぞ
余震で目が覚めました。毛深いのは私の小学生からの悩みです。毎日 脇、脚を カミソリで剃ってます。毛が薄くなったのは妊娠中だけで 出産したら また濃くなりました。
信頼できる先生が近くにおられれば 脱毛したかったと思っています。
姪のように 何とか商法にひっかからないように信頼できるところで受けたいものです。
(残念ながら山形ではないのではないでしょうか?) 入院中 脚を見られたくないです。
昨日 ホルモン療法(メノエイドパッチ、エビスタ錠)で 抜け毛が減ったとCommentしましたが、 悪い面もあり(副作用以外でかもしれませんが) まず、体重が増加して 顔に赤いぷつぷつができて中々なおらず 口元にも何回もできるので完全にしみになりました。