昔の記憶
命日2022
今日は2022年4月6日(水)です。
4月6日は家内の父親の命日です。
命日2015
命日めいにちに書きました。
今日、4月6日は、
岳父(がくふ:家内の父)、
故_片寄茂八(かたよせもはち)の命日です。
平成5年(1993年)に、
兵庫県三田市(さんだし)のゴルフ場で、
急性心筋梗塞で亡くなりました。
64歳でした。
65歳になる23日で前でした。
■ ■
その日は火曜日でした。
市立札幌病院皮膚科の外来で、
13:30から診療を開始して、
間もなくでした。
看護婦さんが、
『先生、奥さんから電話です』
と電話を取り次いでくれました。
『こんな時間に何だろう?』
『子どもがケガでもしたのかなぁ…?』
と思って電話に出ました。
■ ■
電話を取ると…
家内の声が震えていました。
『おじいちゃんが…』
『おじいちゃんが…、死んだって…』
それを聞いて、
私は自分の父親が亡くなったと、
一瞬、思いました。
市立札幌病院へ勤務してから、
私は、毎日、救急部で、
‘ある日突然亡くなる人’を見ていました。
■ ■
亡くなる2日前まで、
私の子どもたち2人(小4と小2)が、
(ジュニアパイロットという子どもだけのフライトで)
家内の実家に遊びに行っていました。
『おじいちゃんに遊園地に連れて行ってもらった』
『おじいちゃん、ちょっと辛そうだった』
『酸欠でなぁ』と休んでいた。
など子どもと話していたところでした。
■ ■
私の父親は90歳で天寿をまっとうしました。
家内の父親は64歳で若すぎました。
私も家内も亡くなった父親の年齢を超えました。
私は欲張りなので、、、
もう少し長生きして、
手術を続けたいです。
目が見えて、
手が動いて、
正確に判断できる間は続けます。
■ ■
家内の父親も、
今だったらもう少し生きられたと思います。
義父の職場近くに、
国立循環器病センターという病院がありました。
1993年でも、
そこで治療を受けていたら、
生きていたと思います。
私が紹介状を書いていれば、、、
…という思いがず~っと残っています。