院長の休日
吉田調書2014朝日新聞
平成26年5月21日、朝日新聞、天声人語です。
「フクシマ・フィフティー」すなわち「福島の50人」という言葉が海外メディアで盛んに流れたのは、原発事故から数日後のことだ。危険な現場で苦闘する人たちは「最後の砦(とりで)」と称賛された。その裏に、もう一つ事実のあったことがわかった。
▼所員の9割にあたる約650人が、所長命令に反して約10キロ離れた福島第二原発へ退避していたという。事故への対応が不十分になった可能性があるそうだ。
▼責任者の吉田昌郎(まさお)所長(故人)は、放射線量の高い所から一時退避して、すぐに現場へ戻れる第一原発構内で待機するよう命じていた。修羅場での吉田氏らの悪戦を思えば、「現場離脱」と言われても仕方ないのかもしれない。
▼だが責める気にはなれない。「命がけ」と口で言うのはたやすいが、実際の行為となれば話は違う。最悪の場合に誰かが死を覚悟で突入するか。それとも広大な国土を人の住めぬ地にしてしまうか。原発とは究極の選択を内包する技術だということを、あらためて思うばかりだ。
▼命令違反の退避は、きのうの本紙の特報まで表には出ていなかった。知られていないことが、なかったことで済んでしまえば、事故の実相はゆがむ。教訓はくめなくなる。
▼事故から3年。のど元を過ぎて「2度目はなかろう」という新しい安全神話が広まってはいないか。古い時代の中国では、進軍は太鼓を、退却にはドラを鳴らしたそうだ。政官財の再稼働の太鼓に抗して、脱原発のドラは鳴り続けている。忘れてはいけない。
(以上、朝日新聞より引用)
■ ■
3年前、
私たち日本人は完全にだまされました。
米国では、
日本は危険
日本への渡航を禁止
東京のホテルはガラガラ、
京都や大阪へ避難した外国人がたくさんいました。
私たちはTVで福島原発を見ていました。
白い煙が何かわかりませんでした。
■ ■
吉田昌郎(まさお)所長は1955年2月17日生まれでした。
私より一歳若い技術者です。
大阪のご出身だそうです。
昨日から、
朝日新聞で吉田調書が連載されています。
歴史に残る記録です。
原発被爆国であるニッポンは、
この記録を絶対に風化させてはいけません。
■ ■
最近、国の方針には賛成できないことが多すぎます。
形成外科学は戦争で発達した学問です。
戦争で傷ついた兵士を…
再建するために発達した学問です。
古い教科書には、
傷病兵の再建手術が載っています。
私は戦争も原発も嫌です。
自分は死んでもいい年齢ですが、
子孫に禍根を残してはいけないと固く信じています。
“吉田調書2014朝日新聞”へのコメント
コメントをどうぞ
決して忘れてはいけないことですね。 各地で太陽光発電や風力発電に力を入れています。まだまだ足りないので 国でも補助金をだしたり国民が原発に頼らない国を目指して欲しいです。
形成外科は戦争で傷ついた兵士から来た学問ですか。
初めて知りました。
私も昨今の国の政策に疑問と不安をいだいています。