昔の記憶

挫折感

 合格発表の季節です。新聞には予備校の大きな広告が掲載され、有名大学に合格した方の嬉しそうな顔写真があります。一方で、無念の結果に肩を落としている方もいらっしゃると思います。
 私は、札幌西高校から札幌医大を受けた18歳の春に不合格になりました。今から考えても、数学ができなかったためです。当時は、大きな問題が4問程度あり、最後の一問ができるかできないかで合否が決まりました。私の時は、確率・統計が最後の問題で、これがダメでした。
 予備校の直前講習で類似問題が出て、これを受けていた人が合格できたという噂を聞きました。予備校の先生が問題を知っていたとは思えませんが、出題者の得意分野や過去問は十分に研究されていたと思います。後から知ったことですが、当時の入学試験問題は秋にはできていて、出題者も毎年苦労して問題を作成なさっていました。札幌医大の数学の教員は関川先生という優しい先生で、決して学生を試験で苦しめたり、落としたりなさらない先生でした。
 札幌西高校の同期生に本間光一くんという優秀な生徒がいました。私が本間賢一で光一くんとは一字違いでした。この本間光一くんが、札幌医大に現役で合格しました。もちろん私より優秀で数学もできました。
 私が不合格だった昭和48年当時は、大学合格者の氏名と出身校が新聞に掲載されました。私の友人で‘賢一’と‘光一’を間違えた人はいませんでしたが、親の知り合いで間違えた人はいました。『息子さん札幌医大に合格なさった?』『いいえ、息子は落ちました。あの方は一字違いのお友だちです』。親に聞いた人はずいぶんバツの悪い思いをなさったことでしょう。
 本間光一くんは優秀な皮膚科医になられ、北区あいの里で本間皮ふ科クリニックを開業なさっています。物静かで優しい先生です。たまに患者様をご紹介していただきます。
 浪人が決まって、私は札幌予備学院の医進コースに入りました。最初はあまりヤル気が出ませんでしたが、私以外にもたくさんの人が落ち、中にはどうしてこの人が?と思うような優秀な人がいることを知りました。予備校当時に一緒だった人が、たくさん医師となり活躍しています。不合格はつらい体験ですが、挫折感を味わった事は、私の人生にとって有意義だったと思います。私は1年間の予備校生活の後、札幌医大に合格できました。
 予備校の1年間は人生の中でもっとも勉強した1年でした。こうして毎日日記をつけるのも、その当時に経験した『継続は力なり』という教訓から生まれた習慣だと思います。一度決めたら最後まで頑張る力は予備校時代に培われました。
 今年、不運にも志望校に合格できなかった皆さん。どうか頑張ってください。1年間努力すれば必ず成果は出ます。自分で決めた目標に向かって努力している時が、人生の中でもっとも充実している時期だと私は思います。応援しています。

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