昔の記憶

濱本淳二先生の想い出④

 私が1980年に北大形成外科へ入局した時、
 教授が大浦武彦先生、
 助教授が濱本淳二先生、
 講師が杉原平樹(つねき)先生でした。
 大浦先生はおおうら先生
 濱本淳二先生ははまさん
 杉原平樹先生はすぎさん
 と呼ばれていました。
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 新入医局員の私が…
 直接はまさん
 とお呼びすることはありませんでしたが、
 医局内では、
 親しみを込めてはまさん
 と呼ばれていました。
 濱本先生のサインは…
 まるの中にの字で、
 大洋漁業のマークと同じ、
 マルハでした。
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 濱本淳二先生は、
 何でも真面目に…
 こつこつとなさるタイプの先生でした。
 北大形成外科の外来には、
 濱本先生が取られた、
 唇裂の子どもさんの、
 歯の石膏模型がたくさんありました。
 唇裂の患者さんの、
 顎(あご)の発育を調べるためでした。
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 今はデジタルカメラで写真を撮りますが、
 昔はカラースライドでした。
 スライドが出来上がってから、
 一枚いちまい名前を記入します。
 これが大変でした。
 新入医局員の仕事で…
 一番大変だったのがスライド整理でした。
 私たち新入医局員と、
 医局の秘書さんが整理をしていました。
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 術者になると、
 自分自身でもカメラを持って…
 写真を撮って、
 自分で整理するようになります。
 形成外科医は、
 手術室でカメラバッグを持っているので、
 どこの手術室へ行っても、
 形成外科医だとわかる…
 といわれていたものです。
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 自分の家のアルバムを見るとわかりますが、
 写真の整理というのは…
 実に大変なものです。
 本間家のアルバムも…
 しっかり整理されているのは、
 最初に生まれた長女だけです。
 濱本先生のスライドは、
 形成外科で一番しっかり整理されていました。
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 濱本先生は、
 スライドが出来上がって来ると…
 その日のうちに整理なさっていらっしゃいました。
 決してスライドをためませんでした。
 私たちは…
 たまってから…
 当直の日にしよう…
 とか思ってついついためてしまい…
 結局大変な思いをしていました。
 私が毎日日記を書くのも、
 メールの返事をすぐに書くのも…
 濱本淳二先生の教えのおかげです。

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