昔の記憶
濱本淳二先生の想い出⑤
濱本淳二先生がお亡くなりになってから、
今日でちょうど一週間です。
昨日が初七日でした。
濱本先生は、
昭和7年3月20日生。
私と22歳違いです。
22歳の年齢差は、
ちょうど自分の20年後の姿を、
重ね合わすことができます。
■ ■
家庭では、
両親の姿を見て子どもが育ちます。
大学の医局という社会では、
常に先輩の姿を見て、
若い医師が育ちました。
濱本先生は、
良き医師であったと同時に、
良き父親であり、
良き夫であったと、
私は思っています。
■ ■
私が結婚した頃に、
濱本先生のお宅に、
家内と招いていただいたことがありました。
小さなお子様がいらして、
あたたかい家庭がありました。
自分もいつかは、
戸建の家を持って、
こうして暮らしてみたいと思いました。
(当時は2DKの公団住宅でした)
■ ■
濱本先生は真面目で、
すすきのへ通うこともなく、
家族のために…
一生懸命働いていらっしゃいました。
函館中央病院で、
私がご一緒に働いていた時に、
三男の方が、
医学部に合格されました。
その時の先生の満面の笑顔は、
今でも忘れることができません。
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病棟の看護婦さんからも…
♡先生!おめでとうございます!♡
♡先生!よかったですね!♡
と
最高の祝福を受けていらっしゃいました。
濱本先生の3人のご子息は、
皆さん立派に成長されました。
先生の遺影は、
ご長男が撮影された白衣姿でした。
最高の写真でした。
■ ■
先生のご長男は、
プロの報道カメラマンとして活躍中です。
時々、新聞で署名入りの写真を拝見します。
晩年の濱本先生は…
奥様と京都旅行を楽しまれたり、
お好きな映画を、
思う存分、鑑賞なさっていらっしゃいました。
とても羨ましいご夫妻でした。
私も濱本先生のようになりたいと思っていました。
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次男の濱本伸夫さんと長男の濱本道夫さんから、
美容の杜へコメントをいただきました。
お二人のコメントを掲載させていただき、
私の濱本先生の想い出シリーズを終わります。
濱本先生、
医師として、
人生の先輩として、
たくさんのことを教えていただき、
ありがとうございました。
心からご冥福をお祈りいたします。
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投稿順に掲載させていただきます。
濱本淳二の次男、濱本伸夫です。
先日は自宅まで御参りに来ていただきありがとうございました。いただいた胡蝶蘭、本人に見せてやりたいほど綺麗に咲いています。
先ほど小田原に帰宅しネット検索で、本間先生のブログで亡父の掲載を知り感激しました。
本人は生前に
「亡くなると灰になり無になるが、残された人の心の中に生き続ける。だから、亡くなった人を思い出し語るのが一番の供養」と申しておりました。
なので、本人のホームページかと思うくらいの立派な記事をブログに載せていただくことは嬉しい限りです。
本当にありがとうございます。
ベストエッセイは、本人も楽しみにしておりましたが、
09年版は、一歩間に合わず本当に残念です。
私は随筆に疎く、今回初めてベストエッセイを知り、昨年版を取り寄せましたが最相葉月さんや泉麻人さん等そうそうたる作家が名を連ねており、びっくりしています。
本人が掲載連絡を受けた6月にやや元気になったのも頷けます。
死の3日前、かなり意識は弱まっていましたが、枕元で96年版の文庫本の藤本義一さん随筆を朗読したら微かに頷いていてくれたことが、私の最後の思い出です。独りで付き添った夜の事でしたが、我ながら下手な朗読で小さい頃に音読をしっかりやっておけば良かったと、後悔しました。そういえば、父は朗読も好きで「『が』は『んが』と読むと響きが良い」と幼少期に言っていたことを思い出します。
昨年版の単行本は棺桶に入れました。
本は火の通りが悪いとの事で、斎場のベルコの方に各々のページを半折にして見開いた状態で入れていただきました。
焼いた後、本は見開いた状態で灰になっていました。棺桶は跡形もないのに。昨年版を読みながら召しのかも知れません。
時々、父の事を思い出していただければ幸いです。
生前含め、お世話になり本当にありがとうございました。
取り急ぎお礼まで。
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濱本淳二の長男、道夫です。
このたびは素晴らしい想い出を綴っていただき、感謝に堪えません。弟の連絡で先生のブログの存在を知り、読み終えさせていただいたところです。
父としての浜本淳二は、私どものよく知るところなのですが、医師としての浜本淳二は、知っているようで知らないことばかりだったのだと、先生のブログを読んで気づかされました。生き生きとした父のエピソードにふれることが出来、感激しております。
小さいころよく、大学の医局に連れて行ってもらったことを思い出します。家でリラックスして笑っている父が、白衣に着替えた途端に鋭い目つきに変わり、「何だかカッコいいね」と申したことを思い出します。父は少し照れておりましたが、子どもの目には颯爽とした「昼間のパパ」ぶりでありました。
その後父の写真好きが遺伝したのか、私自身がカメラマンの道を歩むことになりました。遺影は今年2月、札幌雪まつり会場の救護室にて、白衣で待機する父の姿を私がスナップしたものです。現場に出ていると楽しい、そう言っていたのを昨日のことのように思い出します。
こうして本間先生に取り上げていただき、父がどれほど喜ぶかと思います。本当にありがとうございました。まずは取り急ぎ御礼まで