昔の記憶
濱本淳二先生の想い出①
形成外科医の間で、
濱本淳二先生といえば…
両側唇裂と
マンチェスター法です。
濱本先生は、
唇顎口蓋裂治療の中でも、
もっとも難しいと言われる…
両側唇裂の権威でした。
■ ■
私の手もとに、
米国のミラード(D.R.Millard,Jr)先生という、
有名な形成外科医が書かれた、
Principlization of PLASTIC SURGERY
という本があります。
ミラード先生は唇裂手術で
世界的に有名な形成外科医です。
このミラード先生が書かれた本に、
濱本淳二先生の手術が引用されています。
■ ■
残念なことに…
Hamamotoと書かれるべきところが…
Haramotoになってしまっています。
濱本先生は、
ミラードから手紙が来て…
僕の手術が本に載ることになった。
と…
とても喜んでいらしたのを覚えています。
■ ■
両側唇裂というのは…
上口唇に、
左右2箇所に割れ目が入ってしまう病気です。
ちょうど鼻の下の部分が、
突出してしまうことがあります。
ミルクも上手に飲めないし…
産んだお母さんは絶望的になります。
私の責任…
■ ■
濱本淳二先生は、
まず…
お母さんに優しく説明することからはじめられました。
泣いていてはダメ。
お母さんといっしょに…
綿のテープで、
赤ちゃんの頭につける…
矯正装置の製作をはじめます。
その手づくりの矯正装置を、
赤ちゃんの頭につけます。
■ ■
飛び出していた鼻の下の部分に…
綿テープで作った矯正装置をつけると…
少しずつ平らになります。
あまり強くしてもダメで、
何回も調節します。
混んでいる外来が終わった頃に、
ゆっくりと時間をかけて…
指導なさっていらっしゃいました。
■ ■
唇裂治療のはじまりは、
赤ちゃんではなく…
お母さん。
北大病院の外来ではじまった治療が、
濱本先生を慕って…
函館中央病院まで、
何人も続いていました。
濱本先生が治療を担当された、
濱本先生の子どもさんも、
もう、すっかり大人になられています。
■ ■
絶望の淵に立たされた、
両親を何人も救っていらっしゃいました。
私は…
濱本先生が、
唇裂の患者さんと接する時の、
あの優しいまなざしを、
今でもはっきりと覚えています。
多くの患者さんとご家族が、
濱本先生の死を悼(いた)んでいると思います。