昔の記憶

医者への扉開いた孫

 平成22年4月13日、朝日新聞朝刊、『ひととき』への投稿です。
 医者への扉開いた孫
 先日高校を卒業した孫がこの春、念願の国立大医学部へ進学する。
 幼少期から人間の体に興味を示し、分厚い人体図鑑を片時も手放さなかった。そんな彼の夢は「大きくなったら、お医者さんになりたい」。それが「小児科医を目指す」という具体的な目標に変わったのは小6の夏のことだ。
 炎天下。数日前まで一緒に汗を流して練習に励んだ野球チームの仲間が、急逝した。12歳の誕生日だったという。知らせを受けて駆けつけた孫は、眠っているかに見える友に「起きろ、起きろよ」とほおをなでた。氷のような冷たさが手に伝わってきた。
 彼は、命がこんなにもはかなく消えてしまう現実に衝撃を受け、号泣した。しかも、初期に誤診があったと聞いた。
 以来、彼は、短い人生の幕を閉じた友への鎮魂を込め、医療に携わりたいと勉学に励んだ。目的意識は強固な精神力を養うらしい。中高の6年間は皆勤を貫き、ついに将来への扉を開けた。
 医療の仕事、特に小児科医は激務と聞くが、豪放磊落(ごうほうらいらく)で己(おのれ)に厳しい彼であればこそ、めげずに突き進んでほしい。哲学書を親しみ、他者に力を尽くすのを信条とする孫に、祖母からエールを送りたい。
 “尊厳をむねに、自らが選んだ道へまいしんを”。
 (栃木県那須塩原市 鷹栖律子 養育里親 69歳)
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 最難関の国立大学医学部への、
 現役合格おめでとうございます。
 明確な目的意識を持った、
 18歳のお孫さんへ、
 札幌からも、
 エールを送ります。
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 小児科医不足は全国的な傾向です。
 私の同期にも、
 小児科医がいます。
 全員、
 とても気持ちが優しい先生です。
 親子2代の小児科医もいます。
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 彼は、
 自分が小児喘息で苦しんだことから、
 医師を目指して勉強したと聞きました。
 父親の小児科医として姿を見て育ち、
 自分も小児科医を目指しました。
 小さい頃から、
 アレルギー性鼻炎に悩み、
 耳鼻科医になった先生もいます。
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 患者の悩みを熟知している、
 先生は優しいです。
 自分のことなので、
 よく勉強して知っています。
 私が子どもの頃に罹った病気は、
 ペルテス病でした。
 整形外科の骨の病気です。
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 整形外科の病気になったので、
 美容整形の医師になったのではありません。
 小さい時から、
 周囲に医療関係者がたくさんいたので、
 漠然と医師になりたいと考えたようです。
 医学部への道は険しく、
 成績が悪かった私は…
 現役合格はできませんでした。
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 養育里親という、
 素晴らしいお仕事をなさっていらっしゃる、
 鷹栖様のお孫さんは、
 きっと優秀な小児科医になることと思います。
 医師という職業は、
 決して楽な職種ではありません。
 つらいこともあると思います。
 青春を謳歌(おうか)し、
 素敵な彼女も見つけてください。
 中高6年間勉強したので、
 少し遊ぶことも覚えてください。

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