昔の記憶
本間家のわんちゃん
昨日の院長日記、
そら君のシャンプーに、
さくらんぼさんからコメントをいただきました。
私は小さい頃からひよこや捨て猫、など育てるのが好きでした。
最初にいた大型犬は、私に小学校 までついて来て体育館を走り回りこまりましたが自分で帰りました(その頃あまりつないでおかなかったので)でもいただいた所の家でその子の母が亡くなり返して欲しいと言われ泣く泣く返しました。
二回目は高校の同級生に、たくさん生まれたので育ててと頼まれ職員室で学校が終わるまで預かってもらい育てましたが、その年の12月15日期末テストが終わり胸騒ぎがして帰ったら 私の不注意から首つりになり硬くなって亡くなってました。
その次は、おばの葬式の時、山越をしていたらタヌキがいると思い車を開けたらすぐ子犬が乗ってきたので育てる事にしました。コロは利口な犬で私たちが畑にいると遠吠えして連れてってと言ってるので畑に連れていきました。でも一年もたたないうち山で早朝散歩していたらめったに来ない車にぶつかり行方不明になり、毎日捜しましたが見つからず8月20日山の奥からコロの声が聞こえたので 行ってみたらもうすでに腐敗していて、主人と二人シーツに包み棒で吊して下山しました。
もうかわいそうで犬は育てないことにしましたが、一週間もたたないうちに 霊感の強い方から あたなの家に合う犬だから育てくださいと、秋田からはるばるきたのがちびちゃんで、15年間生き、その間、毎日の散歩で父の足腰も健康でした。最後はみんなに看取られ人間が亡くなるのと同じでした。火葬して今は動物慰霊碑の中に眠ってます。あとはかわいそうで育ててません。長々すみません。
■ ■
私がこどもの頃に手稲で飼った犬は、
コロという名前でした。
雑種で…
まーちゃんの家のポチの子(ポチはお父さん)でした。
誰にでもしっぽを振る…
おとなしい犬でした。
吠えたりもしませんでした。
■ ■
私が小さい頃には…
よくコロと遊んでいました。
手稲→美唄へ引っ越すことになったためか?
ある日、コロは北大へ行くことになりました。
北大へ行って動物実験に使われるとは知らず…
親の…
『北大へ行ったら美味しい餌をたくさん食べられるって…』
…という言葉を信じていました。
■ ■
今になってよく考えてみると…
北大で実験動物が足りなかったのかも知れません。
コロは北大へ行って幸せだったと思っていました。
私がこどもの頃に飼った犬はコロだけでした。
私の弟は、
ニワトリを飼ったり…
リスを飼ったり…
小動物が好きでした。
■ ■
私が小さい頃にあこがれだったのは…
名犬ラッシーでした。
大人になったら…
コリー犬を飼いたいと思っていました。
私の夢の実現がシェルティーのチェリーでした。
最初は反対していた奥さんも…
一番、チェリーの世話をしてくれました。
■ ■
チェリーが亡くなった時…
マンションに引っ越して
最期まで面倒をみれなかった…
…と奥さんは悔やんでいました。
もう犬は飼えない
…と奥さんは言っていました。
ペットショップへ行って仔犬を見ても…
駄目の一点張りでした。
■ ■
そんな時に…
そら君がやって来ました。
あんなにもう犬は飼わない!
…と言っていた奥さんが…
そら君のおかげで…
毎日、楽しく生活できています。
ペットには癒し効果もあります。
人間より短い寿命ですが…
ペットのいる生活は楽しいです。