院長の休日
金井牧師から学んだ戦争と平和
私の札幌西高校の同級生で、
現在は沖縄で牧師をしている
金井創(かないはじめ)牧師のFBから引用しました。
せめて今日(2014年1月18日土曜日)ぐらい名護に行きたかった。何ができるというわけではないけど。
しかし、今日は教会で葬儀。95歳の大往生。
2歳の時に家族と共に佐敷から南大東島に移住。長じて、同じく佐敷から移住していた夫と結婚。3男1女をもうけ、サトウキビ農家として安定した幸せな生活を送っていた。
だが戦火が近づくにつれ、女性、子どもは沖縄に避難するよう指示される。男は島に残るよう命じられた。
出発直前になって子どもの1人が腸チフスにかかり、船には乗れなかった。もし乗れていたら……恐らく地上戦に巻き込まれて命はなかっただろうと、子どもが述懐する。
南大東島もいよいよ危なくなって、今度は男も避難することを許され、一家揃って宮崎に向かった。しかし、船は空襲のため難を避けて奄美大島へ。そこで終戦を迎える。…
戦後1年過ぎてやっと帰郷を許されたが、大東島に残してきた一切を空襲で失い、一家は元々の出である佐敷に帰り、今に至る。
戦後20年が経って夫が脳溢血で急死。以後女手一つで7人の子を育てた。
佐敷教会創立以来のメンバーで、初期の困難な教会を支えた柱であった。
なぜキリスト教に?
それは自由と解放を与えてくれるものだったからという。
戦前戦後の沖縄を生きてきたこの人の歩みを見るときに、軍隊は住民を守るものではなく、基地のある所に戦争がやってきたことがよくわかる。そして、戦争は汗水流して築きあげてきた一切のものを奪う。
地域の発展のために基地を誘致しようというのは全く本末転倒であり、近い歴史から何も学んでいないことがわかる。
あの沖縄戦を生き抜いてきた親たち、先輩たちの平和に対する真実な願いを真剣に受け止めて、名護市民が基地を拒否する選択をしてくれるようにと、心から願いながら葬儀を終えた。
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金井牧師の祈りが通じて、
名護市長選挙では基地反対派の市長が当選しました。
高校生の時には、
ほんとうにおとなしかった金井くん。
金井牧師のFBから、
戦争の悲惨さを学びました。
日本の歴史教育に欠けている部分だと思います。