昔の記憶
(窓)うどん届けてくれた、あなたは
平成30年7月29日、朝日新聞朝刊の記事です。
(窓)うどん届けてくれた、あなたは
《28年前の秋、東京・上池袋の病院に入院していた僕に、一杯の温かいうどんを届けてくれたあなた。今、どこにいますか? 会いたいです》
中国・上海で会社を経営する孫立平(スンリーピン)さん(55)は、スマートフォンで日本の友人たちに、そんなメッセージを送っている。拡散してもらい、一人の女性に届くことを願って。
1990年春、孫さんは上海から東京にやってきた。27歳。大学卒業後に6年続けた仕事を辞め、日本の大学院で学びたい、と夢みていた。
通い始めた日本語学校の学費、風呂なし6畳一間のアパートの家賃……。仕送りはない。授業が終わるとアルバイト。そんな日々が始まった。
女性と出会ったのは、バイト先の写真現像店だった。年は50歳くらい。パートで週に1、2回、自転車で店にやって来た。笑顔が穏やかで、旅行土産のお菓子をよくもらった。
その年の秋、孫さんはツイてなかった。
10月。銭湯に行こうと狭い路地を歩いていたら、蛇行運転してきた車にぶつかり、病院へ。車は逃げ、治療費を支払う羽目に。退院後、さらにバイトを増やした。
11月。料亭でのバイト中に腹が痛み出した。病院に行く金はない。我慢して働いた。次の日、アパートで動けなくなり、病院に運ばれ、腹膜炎で緊急手術を受けた。
病院食は少なくて、満たされなかった。なにより、異国の地で一人過ごす病室の夜は寂しかった。
そんな時、写真現像店の女性が、温かいうどんの丼を手に来てくれた。
「私にも孫さんと同じくらいの息子がいてね。シルクロードの文化が大好きで、夏休みに敦煌に行きました。中国で息子が困ったとき、親切な中国の人に会えたらいいな。そう思っていたんです」
当時は日本語がうまく話せず、「ありがとう」としか言えなかった。
その後、名古屋の大学院に進学。上海に戻って会社を起こした。
池袋にあった写真現像店は、いまはない。女性の名前は、たしか「木村さん」。でも、自信が持てない。だから、メッセージにはこう書いている。
《○村さん、あの時のうどんの味があったから、日本でも上海でも頑張れました。会って、ちゃんとお礼が言いたいです》(上海=宮嶋加菜子)
■ ■
日曜日の朝に、
とても気分がいい記事を読ませていただきました。
朝日新聞上海支局の宮嶋加菜子さんに感謝いたします。
私も留学生の治療をしたことがあります。
孫立平(スンリーピン)さんは慣れない国に来て、
言葉もうまく通じなくて、
ほんとうに心細かったと思います。
一杯の温かいうどんが、
どんなに美味しかったことでしょうか?
■ ■
北大形成外科にも、
上海から留学生がいらしてました。
とても立派な先生でした。
今は上海の大学で形成外科教授をなさっていらっしゃいます。
外国からいらした人と仲良くするのは、
いいことだと思います。
真の日中友好は、
このような一杯の温かいうどんからはじまると思います。
孫立平(スンリーピン)さん(55)の恩人が見つかることを祈っています。
“(窓)うどん届けてくれた、あなたは”へのコメント
コメントをどうぞ
お疲れ様です。
頭痛が酷いです。
気にかけて下さりありがとうございます。
【札幌美容形成外科@本間賢一です】
コメントをいただきありがとうございます。頭痛は困りましたね。少しでもよくなると気分がいいと思います。お大事になさってください。
いいお話ですね。 私の地区にも上海からお嫁さんに来た人がおりますが、無駄遣いもしないで働き者です。1人娘さんは四年制の看護学校を卒業して近くの総合病院に勤めています。上海の人は真面目で頑張り屋さんが多いですね。 心細いとき本当に嬉しかったでしょうね。
【札幌美容形成外科@本間賢一です】
コメントをいただきありがとうございます。上海から日本に留学する方は優秀な方が多いように感じます。お嫁さんに来てくださった女性もいらっしゃるのですね。お嬢様が看護学校を卒業して看護師さんになるなんてすごいです。温かいうどんで日中友好はいいと思います。
とても素敵なお話しのご紹介
ありがとうございました。
本当に困っている時に損得なく
思いやりを届ける人は素晴らしい方
だと思います。
そしてそんな時に助けていただいた事は
一生忘れないと思いました。
【札幌美容形成外科@本間賢一です】
コメントをいただきありがとうございます。急病になって困っていた時の温かいうどんが忘れなれない気持ちがわかります。いつか恩返しがしたいというお気持ちも素敵です。見つかるといいなぁ~と願っています。