昔の記憶

父親の誕生日2020

 今日は2020年3月4日(水)です。
 私の父親、本間寛ほんまゆたかの誕生日です。
 2016年3月29日(火)午後0:49に亡くなりました
 4年前です。
 生きていれば94歳です。
      ■         ■
 私の父は1926年3月4日(大正15年3月4日)、
 樺太からふと、今のサハリンで生まれました。
 私の祖父が、
 郵便局勤務で樺太に住んでいました。
 豊原→泊居とまりおろと転勤し、
 泊居で生まれのが父です。
 5人きょうだいの2番目です。
 生きているのは2人だけです。
      ■         ■
 父が生まれて間もなく、
 祖父は樺太から札幌へ転居。
 勤務先も郵便局から国鉄に変わりました。
 祖父は、郵便局でも国鉄でも、通信関係の仕事をしていました。
 父は子供の頃から、
 学校の勉強はあまり得意ではなかったそうです。
 戦争に行くのが嫌で、
 薬剤師になりました
      ■         ■
 昔の人なので、
 何もない時にどうやって消毒や滅菌をしたらよいか?
 よく知っていました。
 父親が勤務していたのは、
 結核療養所でした
 結核菌は、
 新型コロナウイルスよりずっと厄介な菌です。
 昔は結核で亡くなる人がたくさんいました。
      ■         ■
 親父が生きていたら、
 新型コロナウイルス肺炎にどうやって対処したかなぁ~?
 父親が亡くなったのは、
 間質性肺炎でした。
 新型コロナウイルス肺炎より厄介です。
 私は親父のように90歳までは生きられないと思います。
 父親の誕生日に子供の頃を思い出しています。

“父親の誕生日2020”へのコメント

  1. えりー より:

    お父様の命日なのですね
    心より御冥福をお祈りいたします。
    とてもお幸せそうなお写真だと思い
    ました。結核も怖い病気だと聞いた
    ことがあります。物資の少ない時代に
    病原菌と、どのように向き合っていらして
    そして今の現状をどのように対処
    したら良いのか?
    私もお聞きしてみたいと思いました。

    【札幌美容形成外科@本間賢一です】
    コメントをいただきありがとうございます。申し訳ありません。今日は命日ではなく誕生日です。命日は3月29日なんですが記録を見ないとわからずうろ覚えです。ひな祭りの次の日が親父の誕生日でした。子供の頃に父親の職場に行くと蒸留水製造装置がありました。昔は院内製剤で蒸留水をつくっていました。病院の薬剤師は院内でつくれるものはつくっていたようです。コロナウイルスで経済不況になるなんて考えてもみなかったと思います。

  2. さくらんぼ より:

    お父様の御冥福を心よりお祈りいたしております。私の父も3月25日生まれです。父は病弱で兵隊検査で落とされたそうです。8人兄弟の次男でした。姉は赤十字の看護師で結核で24歳の時絶対中に入るなと言って死後処置を殆ど自分でして亡くなったそうです。結核は恐いですね。お父様はうつらなかったのですね。

    【札幌美容形成外科@本間賢一です】
    コメントをいただきありがとうございます。さくらんぼさんのお父様が病弱だったとは存じませんでした。きっとりんごで丈夫になられたのでしょうね。結核療養所に勤務していた頃には結核に効く薬ができてBCGなどの予防接種も確立していたのでうつらなかったのだと思います。今でも世界中では結核が大きな死因の一つです。2016年には1,040万人が結核に罹患し、170万人が結核で死亡したそうです。新型コロナウイルス肺炎も早く治療法や予防法が確立してほしいです。

  3. なっちゅん より:

    私の母も樺太で生まれました。

    薬剤師さんではありませんでしたが
    病院で受付、薬、会計を担当してました。

    樺太での写真が残ってないのが
    残念です。

    【札幌美容形成外科@本間賢一です】
    コメントをいただきありがとうございます。私も父親が樺太で生まれたことは戸籍謄本か何かで見ましたが樺太の写真は見たことがないです。お母様は病院で働いていらしたのですね。

  4. えりー より:

    大変、失礼いたしました。
    お誕生日でしたね。
    コロナウイルスショック
    脳内誤作動も気をつけたく
    思いました。

    【札幌美容形成外科@本間賢一です】
    いえいえ、まぎらわしくて申し訳ありません。

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