昔の記憶
セピア色の写真2016-1
ちょっと理由があって、
古いアルバムから写真を取り出しました。
私が小学校1年生の頃です。
下の写真は、
札幌郡手稲町字金山栄町。
三菱鉱業㈱社宅の近くです。
結核療養所がありました。
■ ■
私はこの手稲金山で、
小学校2年生の3月まで育ちました。
日本の高度成長期です。
三丁目の夕日と同年代です。
病院の住宅がありました。
私の家の向かいに、
小山先生の家がありました。
■ ■
いい時代でした。
小山昌正(おやま よしまさ)先生は、
内科の先生でした。
ご長男が正美さん、
ご長女がはるみさん、
ご近所は仲良しでした。
私が通った学校は、
手稲西小学校でした。
■ ■
私はできの悪い子でした。
小学校1年生の時に、
先生に叱られて
学校から帰ってきました。
将来お医者さんになれるなんて、
思ってもみませんでした。
セーターは母親の手作りです
“セピア色の写真2016-1”へのコメント
コメントをどうぞ
札幌が郡だったことがあったんですね。
知りませんでした。
私は社会が苦手でテストの前に熱を出し
早引きしたことがあります。
ストレスだったのでしょうね。
高校までずっと苦手でした。
お母様、編み物がお上手ですね。
お揃いで可愛いです。
先生は左右どちらですか?
【札幌美容形成外科@本間賢一です】
コメントをいただきありがとうございます。私は自分で試験問題を作成する側になっても試験は嫌いでした。でも試験がないと学生は勉強しませんね。私と弟なので背が高いほうが私です。
ゼビオ色の写真をみつけてしまうと何時間でも見てしまいます。昨日は母の友人がベッドの中で亡くなっていて ゴタゴタしていました。 ご夫婦2人介護認定を受けた2人暮らしでした。
【札幌美容形成外科@本間賢一です】
コメントをいただきありがとうございます。要介護認定がお二人は大変ですね。私の知り合いの先生はご夫婦とも医師ですが、ご主人が海外出張から帰宅された夜にベッドの中で亡くなりました。奥様は医師なのに主人の死を知らずに心残りだったと話していたことがあります。私は一番幸せな死に方だと思いました。ご冥福をお祈りいたします。
とても素敵なお写真です。
お揃いのお手製のセーターは どのお洋服よりも思い出に残っておらられることと思います。
便利な今とは違い 家事はとても忙しかったと思います。
このお手製のセーターは お母様の愛情の結晶ですね。
とても心が温まりました。
【札幌美容形成外科@本間賢一です】
コメントをいただきありがとうございます。このセーターは母親の自信作だったのか【よそ行きの服】として記憶にあります。