院長の休日
砂原(さわら)の想い出
奥野商店の奥様、
突然おじゃまして申し訳ございませんでした。
行くことに決めたのが、
前日の5月3日でした。
天気がよくなさそうだし…
桜も咲いていなかったら…
…と迷っていました。
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GWだけあって、
函館市内の温泉はどこも満室でした。
最後の一室だけ空いていたのが、
鹿部ロイヤルホテルでした。
鹿部(しかべ)町は、
駒ヶ岳の近くにある、
漁業の街でした。
■ ■
私の幼なじみの、
小山正美先生のお父様が、
となり町の砂原(さわら)町で、
長い間、
国保病院の院長先生をなさっていらっしゃいました。
小山昌正(おやまよしまさ)先生。
もうお亡くなりになってしまいましたが、
北大医学部25期(昭和24年卒業)。
砂原町名誉町民です。
■ ■
私が小学生の頃に、
夏休みに一週間近く、
小山先生の家に遊びに行きました。
『けんちゃん、砂原に遊びにおいで』
『毎日、海に行けるよ』
『海まで歩いて行けるよ』
マーちゃんのおばさんが呼んでくださいました。
■ ■
私は母親と弟といっしょに、
マーちゃんの家に行きました。
毎日、
マーちゃん、
妹のはるみちゃん、
…といっしょに遊びました。
とても楽しい懐かしい想い出です。
■ ■
後から父親も来て、
小山昌正先生が、
車で函館まで案内してくださいました。
今から思うと、
お忙しいのに、
よく案内してくださっと感謝しています。
函館空港もはじめて見ました。
■ ■
一週間、
毎日見ていたのが、
駒ヶ岳でした。
砂原側から見るのを、
砂原岳と呼んでいました。
山は昔のままでしたが、
鹿部には立派なゴルフ場とホテルがありました。
■ ■
小山先生がいらした、
砂原の病院は閉鎖されていましたが、
別の場所に、
新しい病院ができていました。
道路も立派になり、
道の駅もありました。
50年前を想い出して、
楽しい一日となりました。
“砂原(さわら)の想い出”へのコメント
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砂原はリウマチになってナース復帰するときに、最初に面接を受けたのが、砂原の施設でした。さすがに通勤に時間がかかりすぎたので、断念しましたが、砂原岳は、私も温泉の帰りとか良く写真を撮りに行きました。
函館は4月28日まで、どのホテルもガラ空きで、湯の川温泉や市内のホテルは危機でした。28日に一気にネットで予約が入り、29日から急に函館はにぎわいました。先生が砂原に一泊されると聞いた時は、「よくホテルとれたな?」と思いました。函館も駅前は、津波で甚大な被害を受けました。私も大津波がきて、問屋さんに駆けつけた時は、驚きましたが、朝市や函館に来てくださった方のおかげで、少し函館に活気が戻りました。この活気が戻ることは、また東北を元気にする力になります。
お休みを利用して函館にいらしてくださりありがとうございました。
砂原の病院は、今は市内の脳神経外科の分院になっていて、かなり近隣の町は、市内までの通院時間が短縮され、便利になっているようです。
素敵な思い出があり、また素敵な一枚の写真になりましたね♪
でも…(笑)
ほんとに急に先生がいるとびっくりしますよ…あはは(笑)