医学講座

石炭ストーブの思い出2026

 今日は2026年10月21日(水)です。
 灯油_過去最高値で、
 北海道の暖房を考えてみました。
 私が小さい頃、
 1960年代は石炭ストーブが主流でした。
 手稲に住んでいた時は、
 石炭を買っていました。
      ■         ■
 手稲から美唄に引っ越したのが、
 1963年3月でした。
 3学期の終業式の前に、
 手稲西小学校から日東美唄小学校へ転校しました。
 ほんとうは転校したくありませんでした。
 父親が働いていた三菱砿業㈱の結核療養所が無くなったためです。
 結核治療が進歩して長期療養が不要になったためだと思います。
      ■         ■
 はじめて住んだ炭鉱の街は、
 小学校2年生のけんちゃんには衝撃でした。
 近くを流れる川(13号川)の水が真っ黒でした。
 石炭を洗った水のためです。
 選炭機せんたんきという機械で、
 掘った石炭を選別して洗浄します。
 程度の悪い石炭は住民の暖房用にタダで配ってくれました。
      ■         ■
 馬車でおじさんが運んでくれました。
 各家庭には石炭小屋と呼ばれる、
 石炭を保管する場所がありました。
 タダの石炭は、
 粉炭ふんたんと呼ばれる細かい石炭でした。
 大きな石状の石炭は塊炭かいたんと呼ばれていました。
 こんなことを知っている人は少ないと思います。
      ■         ■
 粉炭ふんたんは冬になると凍結してかたまります。
 そのかたまりをつるはしという道具で割って、
 石炭の入れ物(炭箱たんばこ)に入れて、
 居間に運んでいました。
 石炭は石油と違ってすぐに火がつきません。
 石炭ストーブに古新聞と薪まきと
 中塊ちゅうかいを入れて火をつけます。
 火力がついたところに、
 追加の石炭をそっと入れるのがコツでした。
      ■         ■
 今は便利になりました。
 タイマーで暖房を入れられます。
 スイッチ一つで暖かくなります。
 昔はストーブの周りだけ暖かく、
 トイレも台所も氷点下でした。
 冬は寒いのが当たり前でした。
 灯油のおかげです。
 でも160円は高すぎます。
 何とか安くしていただきたいです。

小学校卒業の頃
右奥に見えるのが石炭小屋

“石炭ストーブの思い出2026”へのコメント

  1. なっちゅん より:

    幼稚園まで
    石炭ストーブでした。

    煙突のすす払いを
    父がしてました。

    幼く他に
    覚えてることがありません。

    夕張出身の友人も
    石炭が無料だったと
    以前に聞きました。

    お父さんが炭鉱に勤務してたので
    全部無料だったのだと思います。

    粉炭、初めて聞きました。
    石炭小屋があるのも
    知りませんでした。

    勉強になりました。
    お教え頂き
    ありがとうございました。

    【札幌美容形成外科@本間賢一です】
    コメントをいただきありがとうございます。昔の石炭ストーブにくらべると格段に便利になりました。灯油ストーブはありがたいです。それでも160円は高すぎます。節約するにも限度があります。北海道の生活必需品です。国の政策で価格を安くしてほしいです。

  2. えりー より:

    実際に走っているところは
    見たことがありませんが
    石炭は汽車のSLも動かして
    いたのですよね。

    祖母も母も石炭ストーブ経験者
    ですが、どのように使うのか
    詳しく知らなかったので
    教えてくださりありがとうございます。

    昔は暖めるために、
    たくさんの労力が必要だったこと、
    いろいろ考えさせられました。
    今は灯油がないと生活に困る
    世の中になったので安くなる
    ことを切に願います。

    【札幌美容形成外科@本間賢一です】
    コメントをいただきありがとうございます。私が茶志内に引っ越した時、すぐ近くにSLがいました。石炭を運ぶSLです。珍しいのと友だちがいないので毎日いSLを見に行ってました。炭鉱の街はそれまで住んでいた手稲とは大違いでした。最初は手稲に帰りたかったですが、友だちもできて茶志内もいいところだと思えるようになりました。

  3. さくらんぼ より:

    中学まで石炭ストーブ
    でした。
    石炭当番がありました。
    私の市には吉野鉱山がありました。
    そこの同級生は裕福で持ち物も違ってました。
    石炭の話は懐かしいです。
    北海道明日は雪マークが出ましたね。

    【札幌美容形成外科@本間賢一です】
    お忙しい中、コメントをいただきありがとうございます。石炭当番があったのですね。私が通った大夕張の鹿島中学校は用務員さんが石炭の準備をしてくださったように記憶しています。大きな石炭ストーブの上に蒸発皿があり、お弁当を温める網か棚もあった覚えがあります。私の父親は北海道農業会という、今の北海道厚生連本部の前身に勤めていました。炭鉱病院のお給料がいいので留萌管内にある築別炭鉱病院に転職したそうです。あまりに山の中で嫌になったらしく、手稲の結核療養所にまた転職しました。そこが閉鎖され美唄→大夕張と炭鉱病院に定年まで勤務しました。昔は炭鉱病院のお給料がよかったそうですが、父親が退職する頃には斜陽産業になっていました。石炭が無料だったのはありがたいことでした。

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 ※ が付いている欄は必須項目です

TEL 011-231-6666ご相談ご予約このページのトップへ