昔の記憶
石炭ストーブの思い出
一年の半分以上は暖房が必要な北海道。
暖房の仕組みも変わりました。
私が子供の頃は、
石炭が暖房の主役でした。
どこの家からも、
SLのように黒い煙が出ていました。
昔の札幌は石炭を燃やした煙で、
冬にスモッグが発生していました。
■ ■
今の中国で起きている、
大気汚染と同じです。
ただでさえ日照の少ない冬に、
煙が太陽の光を遮っていました。
冬に青空はなかったのです。
石炭は重くて、
運ぶのも大変でした。
とにかく石でしたから、、、
■ ■
炭鉱に住んでいた私たちは、
石炭が無料でした。
馬車に乗ったおじさんが、
石炭を運んでくれました。
美唄でも夕張でも、
石炭は馬車が運んでくれました。
その上、炭鉱の住宅は、
電気も水道も無料でした。
■ ■
亡くなった祖母が、
石炭がただなのはいいねぇ~
…とよく言っていました。
その代わり、
ただの石炭は、
火をつけるのが難しかった記憶があります。
子どもが石炭ストーブに火をつけることはありませんでしたが、
薪を使って火をつけていました。
■ ■
うまく火がついても、
ストーブが赤々と燃えるまでに時間がかかりました。
ストーブに石炭を入れることを、
石炭をくべると言いました。
石炭をストーブに入れるシャベルを、
じゅうのうと言いました。
でれっきという金の棒もありました。
でれっきで石炭をつついて、
ストーブの中の石炭を調節していました。
■ ■
北海道の人が、
部屋の温度を暑くなるまで高くするのは、
調節が難しい石炭ストーブの影響もあると思います。
とにかく一度消してしまうと、
簡単に再点火ができませんでした。
温度調節はもっと難しかったです。
今のようにSW一つで、
24℃とかに設定できるなんて、
昔は考えられませんでした。
石炭ストーブは昭和40年代まではふつうでした。
“石炭ストーブの思い出”へのコメント
コメントをどうぞ
小中学校は石炭ストーブでした。中学はペチカでした。石炭当番は大変でした、私はあまりもやし過ぎたのか 木の石炭入れを焦がしてしまったことがあります。 私の近くにも鉱山があり 鉱山の子供たちも学校に通っていましたが、こちらの鉱山は景気が良かったのか 裕福な子供さんだった気がします。 お風呂は最近まで木で沸かす風呂でした。まだ隣には玄関に木の風呂があるお宅があります。 お風呂沸かしは大変でしたがリンゴの剪定枝を貯めておき沸かしました。 秋の夕暮れの木を燃やしている煙突から出ている煙の匂いが好きです。
【札幌美容形成外科@本間賢一です】
コメントをいただきありがとうございます。リンゴの剪定枝でお風呂なんですね。なつかしい煙の匂いを感じますね。
子供の頃、石炭ストーブだったと思います。
小学生には石油ストーブに変わってました。
でれっき、くべる、懐かしいです。
覚えてますよ。
じゅうのうも聞き覚えがあるような?
そういう習慣から部屋を暑くしてるんですかね。
父は部屋を暖かしてお客さんを待ってるのが
一番のおもてなしと言ってました。
昔の人らしいですよね。
でも訪ねたお家が寒かったら
テンションが下がる私です。
【札幌美容形成外科@本間賢一です】
コメントをいただきありがとうございます。炭鉱町の学校だったので石炭ストーブしか記憶にありません。高校に入るとボイラーのスチーム暖房でした。蒸気が通る時に配管が鳴る大きな音がしました。昔のボイラーは石炭でした。