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思い出の場所
私が家内とはじめて出合ったのは、雪印パーラーでした。今から30年も前の話しです。家内は兵庫県西宮市に住んでいました。女の子5人の仲よしグループで北海道にスキーに来ていました。私は兵庫県西宮市がどこにあるか?も知らず。甲子園球場がある都市とも知りませんでした。
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家内はスキーをするのが初めてで、5人のうち満足にスキーができたのは2人くらいだったでしょうか?グループの一人が共通の友人でした。『北海道に友だちとスキーに行くので、スキーができる人に教えてもらえない?』と頼まれました。私が友人を集め、総勢10人でアイスクリームを食べに来て自己紹介をしたのが、雪印パーラー1Fの奥でした。
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今はありませんが、30年前にはパーラー1階の奥にレストラン風のコーナーがありました。ちょうど今のパーラー2階のような雰囲気でした。
30年前にはハーゲンダッツもサーティーワンもなく、北海道のアイスクリームは最高でした。特に雪印パーラーのアイスは他では食べられない味でした。
10人は全員おじさん・おばさんになっていますが、当時は若くてはつらつとしていました。男性は私ともう一人が医師。北海道放送1人。サラリーマン1人。牧師1人です。女性は全員結婚して子供がいます。北海道に嫁に来たのは家内だけです。
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すぐに付き合い始めたわけではありません。30年前は携帯もメールもありませんでした。
電話も家電が1回線あるだけです。それも、市外通話料金が驚くほど高く、私の記憶では一度も電話をした覚えがありません。
留寿都へスキーに行って、スキー場で別れてさようなら。私がスキーを教えたのは、別の女の子だったような気がします。お互い、まさかこの人と結婚することになるとは、夢にも思っていませんでした。
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住所だけは知らせていたので、年賀状のやり取り程度はしていました。私は知らなかったのですが、10人のうち一組だけが、その後ひそかに付き合っていたようでした。そいつが二股をかけて付き合っていたことがバレ、そりゃ~ナイしょ!ってことになって、意気投合したのが始まりです。人生、いつ何が起こるかわかりません。
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今と違って通信手段は手紙だけです。こうやって日記を書くように毎日書いた?わけではありません。一週間に一通くらい書いたでしょうか?病院から帰ってきてから、ペンで書いていました。ワープロなんてありませんでしたから…。
今の人は遠距離でも、携帯があり、メールがあり、画像付きでTV電話もありますが、30年前は手紙。速達で出すのが唯一の贅沢でした。
手紙が通信手段で、あまり会わなかったから、お互いに良い所だけを見て結婚できたのかもしれません。ただ、家内の父からは反対されました。可愛い娘を蝦夷(エゾ)の地へやりたくなかったのでしょう。
こうして雪印パーラーで知り合ってから5年後くらいに私たちは結婚しました。