医学講座

方波見先生、第71回北海道新聞文化賞受賞

 平成29年11月3日、北海道新聞朝刊の記事です。
 第71回北海道新聞文化賞の受賞者が決まった。社会部門は長年、地域医療に従事し、その発展に貢献した医師 方波見康雄(かたばみやすお)さん(91)=空知管内奈井江町=、学術部門は胆振管内むかわ町で大型恐竜の化石の発掘を指揮し、全国的にもまれな全身骨格の発見につなげた北大准教授小林快次(よしつぐ)さん(45)=札幌市=、経済部門は道内を中心に地域密着のコンビニチェーンを展開する株式会社セコマ=札幌市=。贈呈式は11月9日午前、札幌市内のホテルで行い、正賞の安田侃氏制作「意心帰(いしんき)」(ホワイトブロンズ)と副賞100万円が贈られる。受賞者のこれまでの歩みと喜びの声を紹介する。
社会部門 方波見康雄かたばみやすおさん_地域医療一筋60年
 生まれ育った空知管内奈井江町で、父の荘衛(そうえい)さんが1924年(大正13年)に開業した診療所「方波見医院」を引き継いで58年半。地域の人々の“生老病死”に、同じ地域に暮らす一人の人間として、開業医として、寄り添ってきた。
 診療所に来る人は「患者さんではない」と言う。「地域で生きる人間。たまたま病気になった。一人一人違う生身の人間をみるのが町医者の仕事」。だから話にじっと耳を傾け、笑顔にして診察室から送り出す。そして、最期までみる。
 北大卒業後も大学でがんの免疫を研究し、その後、内科で学んだ。研究者か大病院の勤務医になる将来図を描いていたが、父が病気になり、奈井江で医院を継ぐことに。「夢にも思わなかった」。32歳だった。
 開業医のイロハも知らない青年医師に、「人間をみる」ことのやりがいを教えてくれたのは故郷の人たちだった。医院を継いで数年後、「腰を据えよう」と決意した。「毎日、一流の医学専門誌を読んで勉強する」「世界のどこでも通用する総合医になる」。この時立てた二つの志は、91歳の今も失っていない。
 先駆的な取り組みも進めた。緩和ケア、ターミナルケア(終末期医療)、死の臨床など、専門的な用語や概念が国内で普及する前に診療所で実践していた。
 地域で老いを共にみる仕組みを作ろうと、町立国保病院に入院した患者を、かかりつけ医が診療できる「開放型共同利用」を町長に提案し、1994年に実現。地域包括ケアシステムを、いち早く実現した形だ。
 受賞には「おやじが一番喜んでいるでしょうね」。週1回の外来診療をずっと続けたいと願っている。「今の私をつくってくれたのは奈井江の人たち。古里に戻って、開業医になって、よかった」と語った。
    略 歴
 1926年 空知管内奈井江町で出生
 1945年 旧制岩見沢中(現岩見沢東高)を卒業。北海道帝国大予科医類に入学
 1952年 北大医学部を卒業。大学でがん免疫抗体の研究に、さらに内科の臨床に従事する
 1959年 北大から奈井江町に戻り、父荘衛さん(1979年死去)が開業した方波見医院を継ぐ。その後北大非常勤講師や藤女子大教授を兼ね生命倫理や死生論などを教える。道医師会常任理事も歴任
 1994年 町長に提案した開放型共同利用が、町立国保病院で実現。後に介護福祉施設に拡大
 2006年 院長の職を次男の基雄さん(59)に譲る。北海道新聞生活面にエッセー「いのちのメッセージ」を書き始める

「早いものですね。(奈井江に戻ってからの58年半は)あっという間でした」と医院の診察室で振り返る方波見康雄さん
(以上、北海道新聞より引用)

方波見医院(Googleより引用)

      ■         ■
 2017年11月1日の院長日記でご紹介した先生です
 親子3代でお医者さんはすごいです。
 ご子息もすばらしい先生だと思います。
 私が持っている、
 北大医学部同窓会名簿には、
 方波見姓の先生が3人いらっしゃいます。
 北大医学部に、
 親子で入学するのはとても難しいことです。
      ■         ■
 親→子への継承も難しいです。
 美容外科でも、
 親子で仲良く開業していらっしゃるのは、
 ほんの一部の先生だけです
 私が尊敬する先生です。
 これからも奈井江町の地域医療のために、
 方波見医院が発展することをお祈りしています。
 方波見先生おめでとうございます

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