昔の記憶
北大形成外科創立50周年
平成27年9月4日(金)に、
京王プラザホテル札幌で、
北大形成外科創立50周年祝賀会が開催されました。
北大形成外科准教授、小山明彦先生の司会で、
約3時間半の祝賀会でした。
日本形成外科学会重鎮の先生から、
なつかしい外来の看護師さんにもお会いできました。
■ ■
北大形成外科は、
今から50年前の、
1965年4月に、
北大皮膚科の形成外科診療班として、
うぶ声をあげました。
大浦武彦先生が、
東京警察病院での研修を終え、
北大に戻って形成外科をはじめられました。
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昭和40年のことです。
最初は患者さんがいなくて、
苦労して患者さんを集めたこと、
唇裂や口蓋裂の患者さんを、
歯学部の歯科口腔外科と交渉して、
医学部形成外科で手術をするようになったこと、
黎明期の苦労を、
大浦武彦先生から聞かせていただきました。
■ ■
私にとって印象的だったのが、
大夕張の炭鉱ガス爆発事故のことです。
昭和43年2月29日三菱大夕張炭鉱でガス爆発事故がありました。
重体5、負傷11とネットに記載があります。
わずか数人ではじめた皮膚科の形成外科診療班から、
私が住んでいた大夕張に北大の先生がいらして、
患者さんを救命してくださいました。
その話しは父親や故濱本淳二先生から伺っていました。
自分が形成外科医になるまで、
大夕張に来てくださったのが、
形成外科の先生とは知りませんでした。
■ ■
今回、大浦先生から話しをお聞きして、
わずか数人の形成外科医の中から、
大夕張まで医師を派遣してくれたことに驚きました。
熱傷治療は大変な仕事です。
不眠不休で治療をしてくださったのだと思います。
1968年2月の大夕張の炭鉱事故の時に
はじめてinhalation injury(気道熱傷)という概念が、
日本で広まったそうです。
この炭鉱事故をきっかけとして、
北大形成外科では熱傷治療を研究するようになりました。
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当時、大夕張の鹿島中学校1年生だった私が、
もうすぐ61歳です。
まさか自分が医師になるなんて考えませんでした。
2月の大夕張は雪深い山奥です。
熱傷治療に使う薬は、
炭鉱病院には常備していません。
薬剤師だった父親が、
救助隊員の血液中の一酸化炭素濃度を測定したり、
やけどに使う薬を札幌に注文していました。
父親が病院から帰って来ないので、
母親が下着を届けていたように記憶しています。
その時に札幌から助けに来てくださった先生が、
北大形成外科の先輩だったと知り、
私はちょっと自慢したくなりました。
北大形成外科創立50周年万歳。