医学講座
惜別_森本正夫先生(北海学園理事長)
今日は2021年7月9日(金)です。
昨夜、菅総理の会見がありました。
東京2020は無観客となり、
東京都に緊急事態宣言が出ました。
今朝の札幌は快晴です。
新型コロナの猛威には勝てません。
無事に東京2020が終わってほしいです。
■ ■
今朝の北海道新聞朝刊に、
北海学園理事長の森本正夫先生の惜別が載っていました。
私はニトリ講座で北海学園大学にお世話になりました。
北海道が誇る立派な大学です。
心からご冥福をお祈りいたします。
北海道新聞の記事をご紹介いたします。
■ ■
惜別_森本正夫もりもとまさおさん
北海学園理事長
「アジアを学ぶ」信念の人づくり
学校法人北海学園。その経営に半世紀携わり、学生として入学してからは70年来、学園とともに歩んだ。経済学者として経営者として、生涯を「人づくり(教育)」にささげた。
北海学園は、札幌に2大学2高校を有し、政財界、文化、スポーツ界に人材を輩出する北海道の私学の雄。だが、学園紛争きなかの1970年、断り切れず専務理事に就任したころは、多額の借金を抱え、「破産ギリギリ」の状態だった。丼勘定を廃し、金策に奔走して危機を脱出した。大学経営に公認会計士を導入したのは「全国で一番早い」と強調していた。
理事長になった翌1977年、北海学園北見大学を開校。土地・校舎は地元自治体が用意し、教育ノウハウは私学側が提供する「公私協力方式」は全国初だった。
180㎝近い体格。柔道は「黒帯三段」でならし、大学では主将を務め、監督歴12年。ただ、物腰は柔らかく口調は丁寧。慕う人は学内外、国内外を問わず多かった。
晩年は、アジア各国との交流に熱心で、中国やモンゴル、北朝鮮にも出かけ、たくさんの研究者、留学生を受け入れた。北京大字では客員教授として教壇に立ち、モンゴルには名誉領事として尽くした。
札幌の農家の次男で、専門は開発政策。脚光を浴びる前の環境や観光の研究にも先駆的に取り組み、寒冷地土木(道路)にも詳しかった。途上国から頼られたのも、幅広い知識に加え、親分肌だったからか。
北東アジアの行く末を心底、気にかけていた。北見大を衣替えし再出発した北海商科大学への思いは、長く学長を兼任するほど強かった。2006年の開校以来、教育目標は「アジアの時代にアジアを学ぶ」。これこそが、後世に伝えたかった信念だった。
(東京2020・スポーツ戦略本部長 佐々木政文)
(以上、北海道新聞より引用)
■ ■
私はよく北海学園の学生さんに言います。
日本中探しても、
地下鉄直結の大学はないょ。
北海学園はすごい。
ニトリの似鳥昭雄社長をはじめ、
たくさんの優秀な人材が出ています。
すばらしい大学です。
■ ■
今朝の道新を読むまで、
多額の借金を抱え、
「破産ギリギリ」の状態だった。
丼勘定を廃し金策に奔走して危機を脱出した。
知りませんでした。
札幌の農家の次男だったことも存じませんでした。
ほんとうにすばらしい大学を残してくださいました。
ありがとうございました。
心からご冥福をお祈りいたします。