昔の記憶
親父の人生に学ぶ①
私の父にお悔やみのお言葉をいただきありがとうございました。
いい人生だったと思います。
大正15年生まれの男性は、
第二次世界大戦でたくさんの方が命をなくしました。
うちの親父は徴兵されるのが嫌で、
札幌工業高校木材工芸科から、
東北薬学専門学校に進学しました。
■ ■
戦争が無ければ、
家具職人にでもなっていたのでしょうか?
札幌工業高校の卒業制作では、
茶箪笥ちゃだんす(今の食器棚)を制作したそうです。
私が子供の頃には、
家に親父が作ったという茶箪笥がありました。
薬剤師を選んだのは、
父親の姉が薬剤師になったことも影響していると思います。
■ ■
私が医師になったのは、
小さい頃から周囲にお医者さんの家族が多かったこと、
父親が病院勤務をしていたことも影響しています。
でも、
小さい頃の私は注射が大嫌い。
血を見るのはこわく、
死とか、
お墓とかは、
背筋がぞっとしていました。
■ ■
それが今では、
毎日注射をして、
毎日血を見て、
親父の火葬場では、
折れた大腿骨の部位や、
骨折の固定に使った金属を親戚に説明しました。
子供の頃からは想像もできませんでした。
■ ■
親父の90年の人生は、
♡いい人生♡だったと思います。
薬剤師は定年を過ぎてからもやっていました。
私の記憶が正しければ、
80歳を過ぎてからも、
調剤薬局のピンチヒッターとして、
北見まで出張していたこともありました。
親父は薬剤師が好きでした。
■ ■
下の写真は、
定年後に働かせていただいた病院です。
薬局の本間先生は、
病院の職員から頼りにされていたようです。
昔の人なので、
若い薬剤師さんができないことも、
ひょひょいとやっていたようです。
■ ■
内科の先生から、
肝臓に注射する、
無水エタノールを滅菌してほしいと頼まれた。
作ったらたいした喜ばれた(北海道弁でとてもよろこばれたの意)。
私が想像するに、
製品として滅菌された無水エタノールが販売される前のことだと思います。
肝臓癌にエタノールを注射して治療する方法です。
私が学生の頃にはありませんでした。
昔の知恵が生きたのだと思います。
■ ■
今年1月に市立札幌病院に入院させていただいた時に、
看護師さんから、
今日の治療薬という本をお借りして、
病室で読んでいたのには驚きました。
眼鏡なしで、
小さな字を読んでいました。
私も親父を見習って、
70歳を過ぎても、
診療を続けたいと思います。
親父がお世話になったみなさま、
ほんとうにありがとうございました。
故人に免じて無断で掲載させていただくことをお許しください
“親父の人生に学ぶ①”へのコメント
コメントをどうぞ
80歳を過ぎてもピンチヒッターで北見まで
すごいですね。
お父様、生き生きとしていいお写真です。
私の父は70歳でリタイアしました。
それでも本人は満足しているようです。
実は先日、父が腹痛をうったえ
救急搬送されました。
悪化すれば人工肛門になりますと
告げられました。
心配です。
お父様、あらためてお悔やみ申し上げます。
【札幌美容形成外科@本間賢一です】
コメントをいただきありがとうございます。自分を必要としてくれる人がいて、他人の役に立てるのが生きがいなのだと思いました。お父様が回復されるようにお祈りしています。
素晴らしいお父様でしたね。 学歴も その時代では高学歴です。私の両親は高等小学校しかでていません。 おいしそうに琴似のお寿司をご家族で食べたことや いろんなことが思い出されます。 主人の父はもう10年近く前なくなりましたが、火葬の時入れた焼けた小銭を持っているとお守りになるといわれていますが、次男は試験などには必ず持って行くそうです。私は無くしてしまったのに。 私も死んだらチタン、ボルトが残ります。 お父様の訃報をお聞きし、すぐにでも駆けつけ最後のお別れに伺わなければならないのに、先生からメールがきたのは、お葬式の後で、香典やお花はいただかないとおっしゃられたので、ブログにてご冥福をお祈りいたします。
【札幌美容形成外科@本間賢一です】
コメントをいただきありがとうございます。父親は生前よく山形のさくらんぼさんからコメントをいただいてありがたいなぁ~と言ってました。果物もおいしいなぁ~と言って喜んでいました。さくらんぼさんのお父様には父親の分まで長生きしていただきたいです。山形からお祈りしていただけるだけで十分に幸せです。ありがとうございました。
お父様のご冥福お祈り申し上げます。
私は北見が地元なので80歳を過ぎても
ピンチヒッターとして、車で4時間半から
5時間のあの距離を移動され、お仕事をしていたのには
驚きました。
私は移動だけでも疲れます。
私は祖父をちょうど一年前に亡くし、
自営をしていた人間なので今だからきいてみたいこと
沢山あります。
祖母や私の父には厳しかったかもしれません。
でも、孫の私達には優しくて大好きなじいちゃんでした。
亡くなる前の二ヶ月間、本人は勿論
私の両親は仕事をしながらの毎日のお見舞、
口には出したことはありませんが
精神的にも辛かったと思います。
なので、先生も奥様もお身体大切になさって下さい。
写真のお父様、素敵な笑顔ですね。
【札幌美容形成外科@本間賢一です】
お言葉をいただきありがとうございました。親父はJR北海道の特急オホーツクで行ってました。80歳になっても働いていたかどうかは定かではありませんが、写真のように働いている時が一番輝いて見えました。私も自分を必要としてくれる方がいる間は働こうと思いました。ありがとうございました。