医学講座
植皮術
昨日の日記を見て息子いわく、この手術はお父さんがしたの?そうだょ。ふ~ん。
子供の皮膚は他人からでもつくの?いいゃ。自分のじゃないとつかないょ。
ブラックジャックは黒人の子供の皮膚を移植してもらったから、顔の色がちがうでしょ?ウ~ん。あれはマンガだからさ。
昨日の日記でお見せした子供さんの指は、キレイに皮膚がついていました。実は、皮膚をキレイに移植するのは、かなり難しい手術です。どんなベテランの形成外科医でも、100%皮膚がつくとは保証できません。今、私が手術するとしても同じです。
医学が発達した21世紀でも、皮膚移植だけは別です。ヤケドした子供さんに、ご両親やおじいちゃんおばあちゃんから『先生、この子に私から皮膚をとって移植してください。』と言われることがあります。残念ですが、皮膚移植だけは腎臓や肝臓と異なり、身内でも生着しません。
唯一の例外が一卵性双生児(ふたご)です。それ以外は、移植しても約4週間で脱落してしまいます。スキンバンクという、死んだ人から皮膚を採って保存している組織が東京にあります。杏林大学救命救急センターの先生が中心になって積極的に活動をなさっています。スキンバンクから皮膚をいただいて移植したことがありますが、あくまで急性期に救命を目的として用いるだけです。最終的には自分の皮膚を少しずつ何回も手術して移植します。
自分の皮膚を移植するには、皮膚を薄く擦りむいたように採取する、分層植皮(ブンソウショクヒ)と皮膚を切り取って採った部分は縫ってしまう全層植皮(ゼンソウショクヒ)の2種類があります。
昨日の子供さんの指には、鼠径部(ソケイブ)といって、お腹と太ももの間の皮膚を移植しました。全層植皮です。皮膚を採った部分は縫いつめました。
昨日の写真ではキレイに治っているように見えますが、のちのち問題が出てきます。明日から少しずつ解説いたします。
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瘢痕拘縮
昨日の続きです。息子がどこをヤケドしていたの?と聞いてきました。指だヨ。お前も指が曲がらなくてよかったな。息子…???。この間の日記で、国民生活センターの写真を見なかった?息子…???。
PCで国民生活センターの写真を見た息子。指が曲がるんだ…。まだよくわかっていない様子なので、今日は写真付きで解説します。ここから先は気持ち悪い人がいるかも?しれないので、自信がない方は読まない(見ない)でください。
瘢痕拘縮はハンコンコウシュクと読みます。瘢痕(ハンコン)は簡単に言うとキズ痕のこと。拘縮とは引きつれて縮まっている状態です。ヤケドが深かったり、キズの治りが悪いと瘢痕治癒という状態になります。瘢痕というキズ痕が残ってキズがふさがります。通常でしたら、キズ痕が残るだけですが、手指・足趾や首などの可動部位では、キズが縮まる力が強いと曲がって固まってしまいます。これを瘢痕拘縮と呼びます。
形成外科の専門医試験は、瘢痕拘縮の手術ができないと受かりません。美容外科の手術で、下手な先生が下瞼の『たるみ取り手術』をする、アッカンベーになります。これも瘢痕拘縮です。形成外科医にとても大切な手術が瘢痕拘縮形成術です。
瘢痕拘縮を治すには、手指の場合は瘢痕をキレイに切除して、植皮をします。瘢痕をとると大きな欠損になります。そこに他部位から皮膚をとってきて移植するのです。
植物の苗を買ってきて移植しても、水やりが悪かったり移植後の管理が悪いと枯れます。皮膚も上手に移植することはもちろんですが、移植後に動かないように固定しないと生着しません。ベテランの形成外科医はこの固定が上手です。
皮膚の移植は植物の移植と同じ『移植』を用います。英語でも、transplantationと言います。plant(植物)をtrans(動かす)のです。
下の写真はスチーム式加湿器で指が曲がってしまった子供さんにした手術です。
こういう写真を見ると、加湿器や炊飯器で指が曲がってしまうなんて…シンジラレナイと思いませんか?
 

加湿器による指のヤケド。指を切って皮膚を移植しました。
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親の責任
私の息子も炊飯器でヤケドをしました。今から20年以上前のことです。私は慎重なので、家のコンセントにも保護用のカバーをつけて子供がケガをしないようにしていました。
家内の実家に子供を連れて帰省しました。実家が関西だったので一年に一度くらいしか里帰りができませんでした。当時は今のように割引切符がなく、子供二人を連れて関西まで帰るとかなりの出費になりました。
里帰りすると家内の両親は大歓迎してくれ、いつも大阪(伊丹)空港まで迎えに来てくれました。当時、家内の父はJRを定年退職して、関連会社に勤務していました。会社近くのマンションに住んでいました。2LDKの広さだったと思います。
ふだんは家内の両親だけの世帯に、娘夫婦と子供が2人里帰りです。孫を囲んで楽しい時間でした。
私は学会のため実家を後にしました。家内の実家で子供と両親が楽しく過ごしていました。事故はその時に起こりました。
息子(本人は覚えていないと思います)は床に置いてあった炊飯器の湯気に手をかざして、指にヤケドをしました。
私に報告すると叱られるので、すぐに言わなかったようです。夜に電話すると息子がヤケドをして、なんとアロエ軟膏を塗っているというではありませんか?私は烈火のごとく怒り(すぐに怒ります)、なんでちゃんと気をつけていなかったのだぁ~~~!!!と電話で延々と怒っていました。携帯電話がなかったので公衆電話からです。
ちゃんと形成外科の先生に診てもらうように指示し、大阪の住友病院形成外科を受診しました。幸い、息子のヤケドは軽く今見てもどこをヤケドしたかわかりません。
ヤケドや事故は予想もしない時に起こります。家内も両親もまさか炊飯器がそんなに怖いとは知らなかったようです。私の怒りは、家内の父の『健人くん(ケント息子の名前です)に悪いことしてしもうた。すまんかったなぁ~』という一言でおさまりました。
小さな子供のヤケドは親の責任です。大きくなってからは子供が何をしてもわかりませんが、小さなお子様にはくれぐれも気をつけてあげてください。
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ヤケドの予防
昨日は私が発表した加湿器のヤケドについて書きました。
子供のやけどはどんなものでヤケドをしやすいか親が知っていれば防ぐことができます。やけどは意外と身近に発生しています。事故を未然に防ぐために家の中を見直してみましょう。
(1)子供がいる家庭では、床に熱を出す家電製品を置いてはいけません。ポット、炊飯器、コーヒーメーカーなどは、ちょっとの時間でも床に置くのはダメです。イスの上に置いて転落したこともあります。ペットがヤケドすることもあります。
(2)子供の目線で触りそうな熱いもの、引っ張りそうなコードを見つけてください。床に寝そべったり座って子供の目の高さで見るのです。ポットのコードを引っ張ってお湯をかぶった子もいます。
(3)湯気や蒸気の出るものは(炊飯器・加湿器など)100℃以上の高温になります。子供の手が届かないところに置きましょう。おじいちゃんおばあちゃんの家に行った時やペンションなどでも要注意です。
(4)食事の準備中や食事中の事故が多いのです。テーブルの上などの熱い湯・コーヒー・スープが危険です。カップラーメンも危険です。
(5)スイッチを切った後も熱い電気アイロンや電気鍋などは、使用中も使用後も子どもが触れないようにしましょう。
(6)やけどの危険性のある家電品のスイッチは、子どもが触らないように注意し、安全性の高い製品を選ぶようにしましょう。
(7)浴室の鍵は閉めておき、浴槽に熱いお湯は絶対にためないようにしましょう。家庭内のヤケドで一番危険で悲惨なのが浴槽転落です。60℃程度のお湯でも這い上がれず、全身にヤケドをすると命が奪われます。
酔っ払って愛人とラブホテルへ行き、誤って浴槽に熱湯を入れて入ってしまい、全身に大ヤケドをした方がいらっしゃいました。体のヤケドを治すのに何ヵ月もかかり何度も手術が必要でした。家族関係もこじれて大変でした。肉体的にも精神的にもヤケドを治すのは大変です。ヤケドはしないように気をつけるのが一番です。
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加湿器によるヤケド
私は2000年に行われた熱傷学会で、加湿器による乳幼児のヤケドを発表しました。この発表を読売新聞と朝日新聞が全国版で取り上げてくれました。その報道が契機となり、国民生活センターで調査してくれて、それ以降ハイブリッド式などヤケドの危険性が少ない加湿器が発売されました。
加湿器は冬に室内の乾燥を防ぐために使用します。25年位前には超音波式といって、超音波で水を細かい霧にして噴霧する加湿器が一般的でした。ところが、加湿器の水に細菌が繁殖して健康によくないという報道があり、一気に衰退しました。その後、熱で水蒸気にするタイプが細菌が繁殖しないので‘健康によい’という理由で普及しました。
確かに高温で水を水蒸気にするため、細菌は死にますが水蒸気でヤケドをする子供が出てきました。親は赤ちゃんの健康のために水蒸気が出るタイプの加湿器を購入しました。まさか加湿器でヤケドをして指が曲がってしまうとは夢にも考えなかったのです。
加湿器による子供のヤケドには特徴がありました。ちょうど一歳前後のハイハイをする頃の赤ちゃんです。目の中に入れても痛くないほど可愛い時期です。
床に置いてあった加湿器から白い湯気がゆらゆら立ち上ると、ハイハイをした赤ちゃんの目に入ります。赤ちゃんは湯気に興味を持ち、自分の手をかざし白いゆらゆらを取ろうとします。その時に悲劇が起こります。白い湯気は水蒸気が水になったものですが、湯気が出ている加湿器の吹出口は100℃以上の高温になっています。
赤ちゃんがギャァ~と泣き叫んだ時には、赤ちゃんの薄い指の皮膚は深くまで焼けてしまっています。親は加湿器の湯気だからたいしたことはないだろうと様子をみています。数日たって赤ちゃんの指がグチャグチャになっているのに気がつき近所の皮膚科に行きます。皮膚科の先生もまさか加湿器で深いヤケドになるとは考えず、軟膏で様子を見ているうちに指が曲がってしまいます。
私が治療した子供さんのおばあちゃんが言った言葉を今でも覚えています。『本当にこの子に申し訳ないことをしました。私が傍についていながらこんなことになってしまって…。まさか加湿器でこんなヤケドをするとは夢にも思っていませんでした』
私が学会で発表して新聞社に取り上げていただいたのは、このような悲劇を繰り返さないためです。それから加湿器は改良されました。加湿器と同じことが炊飯器でも起こります。赤ちゃんがいる家庭ではくれぐれも気をつけてください。
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熱傷学会③
培養表皮という言葉を聞いたことがあると思います。自分の皮膚を切手ほどの大きさだけ採取して、それを培養して増やし皮膚移植に使うという理想的なバイオ技術です。
1984年に重症熱傷の幼児2人に、わずかに残った皮膚から培養表皮を作製し、移植した結果、見事に救命に成功して世界的に注目されました。それ以来20年以上が経過していますが、いまだに商品化されていません。
J-TEC(ジェイテック)という愛知県の会社が製品化に取り組んでいます。この会社の製品が現在厚生労働省の認可を待っていると伺いました。
一つの製品を商品化するのに、医学の分野では長い年月を要します。臨床試験という関門があります。その製品が安全で確かな効果があると認められなければ製品化できません。保険診療で使うには、さらに薬価という価格も必要になります。
一般の方は、培養表皮を移植すると、ヤケドをする前と同じツルツルの肌になれると考えます。これは、大きなおおきな誤解です。培養した皮膚はオブラートのように薄く、移植しても決してヤケドする前と同じようにはできません。
美容外科に来ると、どんなヤケドでもキレイに治ると思っていらっしゃる方が多いと思います。世界中どこへ行っても、深いヤケドを負った皮膚は絶対に元のツルツルお肌にはできません。
ヤケドは簡単には治せません。治ったとしても、元に戻せないことがたくさんあります。注意してヤケドをしないようにすることが大切です。子供や老人にヤケドをさせないように注意してあげましょう。家の中から危険なものを無くすることも大切です。
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熱傷学会②
ヤケドをキレイに治すにはできるだけ早く専門医にかかることが大切です。自分でアロエを塗って治るヤケドもありますが、ある程度深く焼けるとアロエでは治りません。
ステーキを注文すると焼き加減を聞かれます。レア、ミディアムレア、ミディアム、ウエルダン。ヤケドもⅠ度、浅達性Ⅱ度、深達性Ⅱ度、Ⅲ度と分類されます。日焼けしてピリピリ痛いのがⅠ度、水胞ができるのがⅡ度、炎で皮膚が全部焼けてしまったのがⅢ度です。Ⅰ度なら痕が残らないと言われていますが、赤みがある間に紫外線に当てると‘炎症後色素沈着’というシミになります。
このシミだって立派なヤケドの痕です。キレイに治すには赤みがある間は光に当てないようにします。札幌美容形成外科ではカバーマークという化粧品をお薦めしています。もともと子供のアザを隠すために開発された商品です。私が医師になった25年前からありました。デパートで売っているカバーマークとは違い、専門の美容室やクリニックでしか売っていません。市販の日焼け止めより抜群に効果があります。ゴルフなどの時でもばっちりです。
今日の熱傷学会でbFGF(ベーシック・エフジーエフ)という薬がヤケドをキレイに治すという発表がありました。もともと褥瘡や難治性潰瘍というキズを治すために開発された薬です。遺伝子組み換えのバイオ技術で作った製品です。
この薬を子供のヤケドに使ったところ、普通なら絶対に痕が残るヤケドなのにキレイに早く治ったのです。すごいことです。親も子供も喜びます。
学会で早くキレイに治ることがわかっても、保険診療でこの薬をヤケドに使うことができません。厚生労働省が認可していないからです。もっと悪いことに、薬の説明書にはヤケドにも子供にも使わないようにと記載してあります。
もし私が自分でヤケドをしたら、保険外でもこの高価な薬を必ず使います。保険医療機関で使うには、初診料から処置料まですべて自費で払わないと使えないのです。一本一万円以上もする薬ですから、国が簡単に認めるとは思えません。
美しい国日本の保険医療制度にはたくさんの問題があります。安倍首相やご親戚の子供がヤケドをしても、この薬は保険診療では使えません。なんとかして欲しいものです。
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熱傷学会①
日本熱傷学会に参加するため金沢に来ています。熱傷学会はヤケドの学会です。すべての形成外科医がヤケドを専門にしているわけではありません。北大は私の恩師である大浦武彦先生が熱傷の専門家だったので、特に熱傷に力を入れていました。
理由の一つは、北海道に炭鉱が多かったことです。私が中学校3年間を過ごした、北海道夕張市は代表的な炭鉱都市でした。私の中学時代に、父親が勤務していた三菱大夕張炭鉱で大規模な炭鉱事故がありました。炭鉱は燃料になる石炭を掘り出す鉱山なので、事故が起こると石炭に火がついて火災になります。
狭い坑道に炭塵(タンジン)という石炭の粉が充満しています。事故で坑内火災が起きるとそれに火がつきます。一度にたくさんの人がヤケドをします。特に、気道熱傷という、高温の煙を吸い込むことによる、のどから肺にかけてのヤケドで命を奪われます。もちろん、顔も手も体も重症のヤケドになります。
私が中学生の頃の事故でも重傷者がたくさん出ました。父親は薬剤師でしたが、受傷者の血液を検査して一酸化炭素の濃度を測定する仕事をしていました。ヤケドの治療に使う薬を大量に札幌から取り寄せていました。何日か病院に泊り込んで家に帰られず、母親が下着を届けていたのを記憶しています。
私は北大形成外科の先生が大夕張の炭鉱事故の治療をしたのを知りませんでした。北大に入ってから、本間君は大夕張にいたんだね。昔、大夕張の炭鉱事故で大変だったんだよ。とはじめて聞かされました。何かの縁を感じました。
私の札幌医大の先輩である阿部清秀先生は、ロシアから来た重症のヤケドの子供を治療しました。TVに出て有名になったコンスタンチン君です。もう立派な青年になったそうです。私も札幌医大に勤務していた時にジェーニャ君という子供の治療をしました。
北海道はロシアに近いので、ロシアからの熱傷患者も治療する機会があります。熱傷治療はキズを治す根本を知らないとキレイに治せません。私は熱傷治療を通じて多くのことを学び、現在の美容外科診療に役に立っています。
熱傷治療も進歩して、従来は必ず痕が残ったヤケドでも、キズを早く治すことにより目立たなくすることもできるようになっています。明日から2日間勉強して帰ります。
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病院の形成外科
私が勤務した総合病院の形成外科で多かった手術は、皮膚のできもの(皮膚腫瘍)の手術でした。地域の特殊性もあると思いますが、皮膚科の先生から多くの患者様を紹介していただきました。
腋臭症手術(わきが手術)は今から考えると驚くほど少なかったです。市立札幌病院のHPでは手術件数を年度毎に報告しています。腋臭症手術は2001年6例、2002年5例、2003年5例。3年間合わせても16例です。
全国の形成外科学会認定施設では、毎年認定施設の更新のために手術症例数を学会に報告します。大学病院や総合病院では病院のHPに症例数を掲載しているところもあります。
広告規制の緩和から、一年間の手術症例数を広告に載せることができるようになりました。札幌美容形成外科でも、手術症例数をHPに掲載しようと計画しています。
どんな大学病院でも、腋臭症手術の数は大手美容外科にはかないません。美容外科はやはり広告宣伝を派手にしないと数は集まりません。30分で治るわきが手術とか、通院は不要ですという広告に魅力を感じて受診なさる方が多いと思います。
手術症例数が多いと上手かというと、美容外科では当てはまらないことがあります。何度も書いていますが、昨日まで内科の先生だった人が、いきなりわきが手術は上手にできません。わきが手術で失敗してキズが残ったなんて、人に言えないので、泣き寝入りしている方がたくさんいるのです。
形成外科の門を叩いた先生が、専門医も取得せずに美容外科に転向するケースが多くなっているように思います。自分が想像していた形成外科と実際の診療内容が異なる。なかなか手術を教えてもらえず、いつまでたっても上達しない。さまざまな理由で形成外科を去って行かれました。
医師としての生き方はひとそれぞれです。その人の生き方に文句は言えません。ただ、皮膚腫瘍の手術も満足にできない医師に美容外科は無理だと思います。
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整形外科の大先輩
市立札幌病院で形成外科をなんとか‘宣伝’しようと考えていた頃です。整形外科の大先輩から言われました。
『先生、焦るんでない!』
『俺たちだって最初は外科の片隅でやっていたんだ』
『骨が折れたら骨接ぎに行ってた時代さ』
『整形外科って言ったらさ、美容整形ですか?って言われたもんだよ』
『最初は肩身が狭かったよ』
『ギプスの石膏で汚くなるって言われてね』
『でもね、整形外科で骨折を治すと、外科とはまったく違うってことがわかると、患者さんはどんどん来てくれましたよ』
『形成外科は、すばらしい技術があるんだから、これから必ず発展しますよ』
その大先輩をはじめとして、整形外科の先生からはたくさんの患者様を紹介していただきました。整形外科の先生とは何度も一緒に手術をしました。
『いやぁ~先生(私のこと)に来てもらってよかったよ』
『俺たちだけだったら、アンプタ(切断)しかなかった』
子供の下肢の重症の外傷です。骨はバラバラ、皮膚はベロンベロンです。整形外科の先生が骨を治して、私が皮膚と軟部組織を再建しました。深夜や朝までかかって、救急部や整形外科と一緒によく手術をしました。手術した患者様の中には、今でも年賀状をくださる方や結婚式に招待してくださった方もいらっしゃいました。
市立札幌病院では、外科系のすべての先生からとてもよくしていただきました。私の医師として青春時代です。毎日充実していました。器械や設備は予算の関係で揃っていませんでしたが、借りたり他の病院へ行ったりして手術をしていました。
今の若い先生は、形成外科に患者様が来るのが当たり前。他科の先生が紹介してくださるのが当たり前。形成外科医は‘楽して儲かりそう’だから形成外科を選ぶ、なんて思っている先生や学生さんがいるかも知れません。
私の時代は、北大の医局で、先輩でも‘○○さん’とか同期なら‘○○ちゃん’と呼び合って仲良く生活していました。ちなみに私は‘ホンマちゃん’と呼ばれていました。形成外科という新しい科をみんなで発展させようとしていました。
今は開業して、毎日一人で手術をしていますが、私が一人前になれたのは、たくさんの先輩から励まされ、教えていただいたおかげです。私が死ぬ前までに、私の技術や考えを後輩に伝承したいと思っています。