医学講座
ヤケドの予防
昨日は私が発表した加湿器のヤケドについて書きました。
子供のやけどはどんなものでヤケドをしやすいか親が知っていれば防ぐことができます。やけどは意外と身近に発生しています。事故を未然に防ぐために家の中を見直してみましょう。
(1)子供がいる家庭では、床に熱を出す家電製品を置いてはいけません。ポット、炊飯器、コーヒーメーカーなどは、ちょっとの時間でも床に置くのはダメです。イスの上に置いて転落したこともあります。ペットがヤケドすることもあります。
(2)子供の目線で触りそうな熱いもの、引っ張りそうなコードを見つけてください。床に寝そべったり座って子供の目の高さで見るのです。ポットのコードを引っ張ってお湯をかぶった子もいます。
(3)湯気や蒸気の出るものは(炊飯器・加湿器など)100℃以上の高温になります。子供の手が届かないところに置きましょう。おじいちゃんおばあちゃんの家に行った時やペンションなどでも要注意です。
(4)食事の準備中や食事中の事故が多いのです。テーブルの上などの熱い湯・コーヒー・スープが危険です。カップラーメンも危険です。
(5)スイッチを切った後も熱い電気アイロンや電気鍋などは、使用中も使用後も子どもが触れないようにしましょう。
(6)やけどの危険性のある家電品のスイッチは、子どもが触らないように注意し、安全性の高い製品を選ぶようにしましょう。
(7)浴室の鍵は閉めておき、浴槽に熱いお湯は絶対にためないようにしましょう。家庭内のヤケドで一番危険で悲惨なのが浴槽転落です。60℃程度のお湯でも這い上がれず、全身にヤケドをすると命が奪われます。
酔っ払って愛人とラブホテルへ行き、誤って浴槽に熱湯を入れて入ってしまい、全身に大ヤケドをした方がいらっしゃいました。体のヤケドを治すのに何ヵ月もかかり何度も手術が必要でした。家族関係もこじれて大変でした。肉体的にも精神的にもヤケドを治すのは大変です。ヤケドはしないように気をつけるのが一番です。
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加湿器によるヤケド
私は2000年に行われた熱傷学会で、加湿器による乳幼児のヤケドを発表しました。この発表を読売新聞と朝日新聞が全国版で取り上げてくれました。その報道が契機となり、国民生活センターで調査してくれて、それ以降ハイブリッド式などヤケドの危険性が少ない加湿器が発売されました。
加湿器は冬に室内の乾燥を防ぐために使用します。25年位前には超音波式といって、超音波で水を細かい霧にして噴霧する加湿器が一般的でした。ところが、加湿器の水に細菌が繁殖して健康によくないという報道があり、一気に衰退しました。その後、熱で水蒸気にするタイプが細菌が繁殖しないので‘健康によい’という理由で普及しました。
確かに高温で水を水蒸気にするため、細菌は死にますが水蒸気でヤケドをする子供が出てきました。親は赤ちゃんの健康のために水蒸気が出るタイプの加湿器を購入しました。まさか加湿器でヤケドをして指が曲がってしまうとは夢にも考えなかったのです。
加湿器による子供のヤケドには特徴がありました。ちょうど一歳前後のハイハイをする頃の赤ちゃんです。目の中に入れても痛くないほど可愛い時期です。
床に置いてあった加湿器から白い湯気がゆらゆら立ち上ると、ハイハイをした赤ちゃんの目に入ります。赤ちゃんは湯気に興味を持ち、自分の手をかざし白いゆらゆらを取ろうとします。その時に悲劇が起こります。白い湯気は水蒸気が水になったものですが、湯気が出ている加湿器の吹出口は100℃以上の高温になっています。
赤ちゃんがギャァ~と泣き叫んだ時には、赤ちゃんの薄い指の皮膚は深くまで焼けてしまっています。親は加湿器の湯気だからたいしたことはないだろうと様子をみています。数日たって赤ちゃんの指がグチャグチャになっているのに気がつき近所の皮膚科に行きます。皮膚科の先生もまさか加湿器で深いヤケドになるとは考えず、軟膏で様子を見ているうちに指が曲がってしまいます。
私が治療した子供さんのおばあちゃんが言った言葉を今でも覚えています。『本当にこの子に申し訳ないことをしました。私が傍についていながらこんなことになってしまって…。まさか加湿器でこんなヤケドをするとは夢にも思っていませんでした』
私が学会で発表して新聞社に取り上げていただいたのは、このような悲劇を繰り返さないためです。それから加湿器は改良されました。加湿器と同じことが炊飯器でも起こります。赤ちゃんがいる家庭ではくれぐれも気をつけてください。
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熱傷学会③
培養表皮という言葉を聞いたことがあると思います。自分の皮膚を切手ほどの大きさだけ採取して、それを培養して増やし皮膚移植に使うという理想的なバイオ技術です。
1984年に重症熱傷の幼児2人に、わずかに残った皮膚から培養表皮を作製し、移植した結果、見事に救命に成功して世界的に注目されました。それ以来20年以上が経過していますが、いまだに商品化されていません。
J-TEC(ジェイテック)という愛知県の会社が製品化に取り組んでいます。この会社の製品が現在厚生労働省の認可を待っていると伺いました。
一つの製品を商品化するのに、医学の分野では長い年月を要します。臨床試験という関門があります。その製品が安全で確かな効果があると認められなければ製品化できません。保険診療で使うには、さらに薬価という価格も必要になります。
一般の方は、培養表皮を移植すると、ヤケドをする前と同じツルツルの肌になれると考えます。これは、大きなおおきな誤解です。培養した皮膚はオブラートのように薄く、移植しても決してヤケドする前と同じようにはできません。
美容外科に来ると、どんなヤケドでもキレイに治ると思っていらっしゃる方が多いと思います。世界中どこへ行っても、深いヤケドを負った皮膚は絶対に元のツルツルお肌にはできません。
ヤケドは簡単には治せません。治ったとしても、元に戻せないことがたくさんあります。注意してヤケドをしないようにすることが大切です。子供や老人にヤケドをさせないように注意してあげましょう。家の中から危険なものを無くすることも大切です。
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熱傷学会②
ヤケドをキレイに治すにはできるだけ早く専門医にかかることが大切です。自分でアロエを塗って治るヤケドもありますが、ある程度深く焼けるとアロエでは治りません。
ステーキを注文すると焼き加減を聞かれます。レア、ミディアムレア、ミディアム、ウエルダン。ヤケドもⅠ度、浅達性Ⅱ度、深達性Ⅱ度、Ⅲ度と分類されます。日焼けしてピリピリ痛いのがⅠ度、水胞ができるのがⅡ度、炎で皮膚が全部焼けてしまったのがⅢ度です。Ⅰ度なら痕が残らないと言われていますが、赤みがある間に紫外線に当てると‘炎症後色素沈着’というシミになります。
このシミだって立派なヤケドの痕です。キレイに治すには赤みがある間は光に当てないようにします。札幌美容形成外科ではカバーマークという化粧品をお薦めしています。もともと子供のアザを隠すために開発された商品です。私が医師になった25年前からありました。デパートで売っているカバーマークとは違い、専門の美容室やクリニックでしか売っていません。市販の日焼け止めより抜群に効果があります。ゴルフなどの時でもばっちりです。
今日の熱傷学会でbFGF(ベーシック・エフジーエフ)という薬がヤケドをキレイに治すという発表がありました。もともと褥瘡や難治性潰瘍というキズを治すために開発された薬です。遺伝子組み換えのバイオ技術で作った製品です。
この薬を子供のヤケドに使ったところ、普通なら絶対に痕が残るヤケドなのにキレイに早く治ったのです。すごいことです。親も子供も喜びます。
学会で早くキレイに治ることがわかっても、保険診療でこの薬をヤケドに使うことができません。厚生労働省が認可していないからです。もっと悪いことに、薬の説明書にはヤケドにも子供にも使わないようにと記載してあります。
もし私が自分でヤケドをしたら、保険外でもこの高価な薬を必ず使います。保険医療機関で使うには、初診料から処置料まですべて自費で払わないと使えないのです。一本一万円以上もする薬ですから、国が簡単に認めるとは思えません。
美しい国日本の保険医療制度にはたくさんの問題があります。安倍首相やご親戚の子供がヤケドをしても、この薬は保険診療では使えません。なんとかして欲しいものです。
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熱傷学会①
日本熱傷学会に参加するため金沢に来ています。熱傷学会はヤケドの学会です。すべての形成外科医がヤケドを専門にしているわけではありません。北大は私の恩師である大浦武彦先生が熱傷の専門家だったので、特に熱傷に力を入れていました。
理由の一つは、北海道に炭鉱が多かったことです。私が中学校3年間を過ごした、北海道夕張市は代表的な炭鉱都市でした。私の中学時代に、父親が勤務していた三菱大夕張炭鉱で大規模な炭鉱事故がありました。炭鉱は燃料になる石炭を掘り出す鉱山なので、事故が起こると石炭に火がついて火災になります。
狭い坑道に炭塵(タンジン)という石炭の粉が充満しています。事故で坑内火災が起きるとそれに火がつきます。一度にたくさんの人がヤケドをします。特に、気道熱傷という、高温の煙を吸い込むことによる、のどから肺にかけてのヤケドで命を奪われます。もちろん、顔も手も体も重症のヤケドになります。
私が中学生の頃の事故でも重傷者がたくさん出ました。父親は薬剤師でしたが、受傷者の血液を検査して一酸化炭素の濃度を測定する仕事をしていました。ヤケドの治療に使う薬を大量に札幌から取り寄せていました。何日か病院に泊り込んで家に帰られず、母親が下着を届けていたのを記憶しています。
私は北大形成外科の先生が大夕張の炭鉱事故の治療をしたのを知りませんでした。北大に入ってから、本間君は大夕張にいたんだね。昔、大夕張の炭鉱事故で大変だったんだよ。とはじめて聞かされました。何かの縁を感じました。
私の札幌医大の先輩である阿部清秀先生は、ロシアから来た重症のヤケドの子供を治療しました。TVに出て有名になったコンスタンチン君です。もう立派な青年になったそうです。私も札幌医大に勤務していた時にジェーニャ君という子供の治療をしました。
北海道はロシアに近いので、ロシアからの熱傷患者も治療する機会があります。熱傷治療はキズを治す根本を知らないとキレイに治せません。私は熱傷治療を通じて多くのことを学び、現在の美容外科診療に役に立っています。
熱傷治療も進歩して、従来は必ず痕が残ったヤケドでも、キズを早く治すことにより目立たなくすることもできるようになっています。明日から2日間勉強して帰ります。
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病院の形成外科
私が勤務した総合病院の形成外科で多かった手術は、皮膚のできもの(皮膚腫瘍)の手術でした。地域の特殊性もあると思いますが、皮膚科の先生から多くの患者様を紹介していただきました。
腋臭症手術(わきが手術)は今から考えると驚くほど少なかったです。市立札幌病院のHPでは手術件数を年度毎に報告しています。腋臭症手術は2001年6例、2002年5例、2003年5例。3年間合わせても16例です。
全国の形成外科学会認定施設では、毎年認定施設の更新のために手術症例数を学会に報告します。大学病院や総合病院では病院のHPに症例数を掲載しているところもあります。
広告規制の緩和から、一年間の手術症例数を広告に載せることができるようになりました。札幌美容形成外科でも、手術症例数をHPに掲載しようと計画しています。
どんな大学病院でも、腋臭症手術の数は大手美容外科にはかないません。美容外科はやはり広告宣伝を派手にしないと数は集まりません。30分で治るわきが手術とか、通院は不要ですという広告に魅力を感じて受診なさる方が多いと思います。
手術症例数が多いと上手かというと、美容外科では当てはまらないことがあります。何度も書いていますが、昨日まで内科の先生だった人が、いきなりわきが手術は上手にできません。わきが手術で失敗してキズが残ったなんて、人に言えないので、泣き寝入りしている方がたくさんいるのです。
形成外科の門を叩いた先生が、専門医も取得せずに美容外科に転向するケースが多くなっているように思います。自分が想像していた形成外科と実際の診療内容が異なる。なかなか手術を教えてもらえず、いつまでたっても上達しない。さまざまな理由で形成外科を去って行かれました。
医師としての生き方はひとそれぞれです。その人の生き方に文句は言えません。ただ、皮膚腫瘍の手術も満足にできない医師に美容外科は無理だと思います。
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整形外科の大先輩
市立札幌病院で形成外科をなんとか‘宣伝’しようと考えていた頃です。整形外科の大先輩から言われました。
『先生、焦るんでない!』
『俺たちだって最初は外科の片隅でやっていたんだ』
『骨が折れたら骨接ぎに行ってた時代さ』
『整形外科って言ったらさ、美容整形ですか?って言われたもんだよ』
『最初は肩身が狭かったよ』
『ギプスの石膏で汚くなるって言われてね』
『でもね、整形外科で骨折を治すと、外科とはまったく違うってことがわかると、患者さんはどんどん来てくれましたよ』
『形成外科は、すばらしい技術があるんだから、これから必ず発展しますよ』
その大先輩をはじめとして、整形外科の先生からはたくさんの患者様を紹介していただきました。整形外科の先生とは何度も一緒に手術をしました。
『いやぁ~先生(私のこと)に来てもらってよかったよ』
『俺たちだけだったら、アンプタ(切断)しかなかった』
子供の下肢の重症の外傷です。骨はバラバラ、皮膚はベロンベロンです。整形外科の先生が骨を治して、私が皮膚と軟部組織を再建しました。深夜や朝までかかって、救急部や整形外科と一緒によく手術をしました。手術した患者様の中には、今でも年賀状をくださる方や結婚式に招待してくださった方もいらっしゃいました。
市立札幌病院では、外科系のすべての先生からとてもよくしていただきました。私の医師として青春時代です。毎日充実していました。器械や設備は予算の関係で揃っていませんでしたが、借りたり他の病院へ行ったりして手術をしていました。
今の若い先生は、形成外科に患者様が来るのが当たり前。他科の先生が紹介してくださるのが当たり前。形成外科医は‘楽して儲かりそう’だから形成外科を選ぶ、なんて思っている先生や学生さんがいるかも知れません。
私の時代は、北大の医局で、先輩でも‘○○さん’とか同期なら‘○○ちゃん’と呼び合って仲良く生活していました。ちなみに私は‘ホンマちゃん’と呼ばれていました。形成外科という新しい科をみんなで発展させようとしていました。
今は開業して、毎日一人で手術をしていますが、私が一人前になれたのは、たくさんの先輩から励まされ、教えていただいたおかげです。私が死ぬ前までに、私の技術や考えを後輩に伝承したいと思っています。
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形成外科と‘宣伝’
昨日、市立札幌病院で‘広報さっぽろ’に形成外科の宣伝を載せてもらった話しを書きました。なんで市立病院の先生が宣伝なんかするの?宣伝しなくても、病院はいつ行っても何時間も待たされるじゃないの?と思われた方(先生)も多いと思います。
今の若い先生に話しても信じてもらえないかも知れませんが、私が形成外科医になった25年前には、宣伝しないと患者様は集まりませんでした。
そもそも、私が北大形成外科に入局すると決めて、親が知り合いに『息子は形成外科に入りました』と言っても『はぁ?整形外科ね』とか『形成外科?美容整形?』なんて反応が多かったものです。
私の恩師、大浦武彦先生が北大病院で形成外科をはじめた頃は、苦労して苦労して形成外科を啓蒙されました。医師会の講演会や市民講座など、あらゆる機会を利用して形成外科を広められました。
北大の関連病院で、一番最初に形成外科を作っていただいたのが旭川厚生病院の菅野(カンノ)院長先生です。北大の先生が旭川に出張して手術をしていました。関連病院を増やすのも大変で、病院長の理解はもとより外科系の先生のご理解がなければできませんでした。形成外科ができるということは、自分の科の患者さんが減ることにもつながりかねません。患者をとられたら困ると思えば形成外科なんて作りませんし紹介もしません。
私が30代に勤務した函館中央病院では、外科の藤井正三院長が、自らたくさんの患者様を形成外科に紹介してくださいました。『形成外科で手術してもらった方がキレイに早く治るから…』と紹介してくださいました。私たち形成外科医は、それこそ一人ひとりの患者様を大切にして、失礼ながら一人ひとりが‘歩く広告塔’だと信じて手術をしました。
一人でも多くの患者様をキレイに治して、おばあちゃんにも『形成外科さぁ行ったらぁ、はぁ、キズがなぁ、キンレイに治るんだわぁ~』と言われて大満足していました。
私がキズにこだわるのも、キレイに治すのに命をかけているのも、北大形成外科の先輩の教えです。
昨夜、北大形成外科の集まりがありました。25年前と比べると全員歳をとって、頭に白いものが増えましたが、親兄弟に会って話すような懐かしい楽しい時間でした。
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新聞の影響
私は平成元年4月から市立札幌病院で形成外科の診療をはじめました。当時は、皮膚科外来で午後から週に2回外来診療を行っていました。
私の職位は皮膚科医師。皮膚科専門医でもないのに、皮膚科医になってしまいました。市立札幌病院内でも形成外科で、どんな治療をしているか知られていませんでした。まして札幌市民で市立病院に形成外科医がいることを知っている人は皆無でした。
宣伝ができないため、外来を開いても‘お客様’の数は少なく、何とか形成外科を‘宣伝’したいと考えていました。平成元年の札幌市長は板垣武四さんでしたが、平成3年から桂信雄市長にかわられました。私は桂市長に直訴して、市立病院で形成外科の診療をしていることを、札幌市の広報に載せていただきました。
保健所に届けた標榜科目ではないので、市立札幌病院皮膚科の‘形成外来’としてです。字で見ると、形成外科も形成外来も同じように見えます。広報さっぽろに載せていただいた時はとても嬉しかったです。
広報さっぽろには、形成外科とはどんな科で、何を治療しているかを掲載していただきました。その中で、わきがを保険で治療できると載せました。札幌美容形成外科の診療方針の原点です。
広報を読まれたご婦人が、古い北海道新聞の切抜きを持参して市立札幌病院へ来院されました。その記事には、3人の形成外科医が登場し、わきがの治療法について述べていました。3人とも開業医でしたが、わきがには保険はききませんと書いてありました。
開業医でも形成外科メモリアル病院などでは、保険診療でわきが手術をしていましたが、北海道新聞に保険がきかないと書かれていたため、そのご婦人はずっと保険がきかないものと信じて疑わなかったそうです。
広報さっぽろと道新の切り抜きを持参され、『本当に保険がきくのですね』『これでようやく手術を受けられます』と手術をお受けになりました。
新聞の影響は大きく、記事の内容は無条件で信用されます。わきが手術は簡単ではありません。北海道新聞社がわきが特集を組んでくれることを期待しています。
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わきが手術と汗
昨日の日記にわきが手術のことを記載しました。欧米では臭いのために手術を受ける方はマレですが、多汗症の手術は教科書にも記載されています。いわゆるワキガ手術をすると汗も減りますが、ゼロにはなりません。これは次のような理由によります。
汗の原因になるエクリン腺は皮膚の浅い層にあるため、アポクリン腺よりも取り除くことは難しいのです。欧米の教科書にも文献にも、わきが手術をすると多汗症が改善すると記載されていますが、ゼロになるとは書いていません。
わきが手術をして半年くらいの間は汗は劇的に減ります。ところが、術後3ヵ月程度経過すると神経が再生してくるため、少しずつ汗が出るようになります。これはどんな手術法でしても同じです。唯一異なるのがワキの皮膚をすべて切り取ってしまう手術ですが、大きなキズが残るためこの手術を行う美容外科医はいません。
この神経の‘再生’による発汗を‘再発’と勘違いして治っていないと言う方がいらっしゃいます。以前、診察した方は、手術を受けたのに『緊張すると服に汗染みができます!』といらっしゃいました。診察するとワキからは汗は出ておらず、汗染みは肩から出た汗がワキに流れてできていました。
私だって、緊張したり興奮するとワキに汗がたまり、胸の横をツゥ~っと汗がしたたり落ちます。これは生理的な現象で‘病気’でも‘異常’でもありません。
確かに、汗の臭いが気になることもあります。通常は汗をかいたら、下着を取り替えるとか、シャワーを浴びて対処します。一日に3枚も4枚もシャツを取り替える必要があって仕事に差し支えるような方は‘病的’な発汗の可能性があります。
汗を止めるのに、効果的な治療法はボトックスの注射や交感神経の手術です。性格的に緊張しやすい方には、一部のメンタルクリニックで行っている、‘自律神経訓練’があります。交感神経の過緊張を止めるために、自律神経の訓練を行います。効果は速効性ではありません。
わきが手術も汗を止める治療も簡単ではありせん。自分の症状と、何がどう困っているかを整理して相談にいらして下さい。