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2007年を振返り
今日は大晦日です。
最後まで、つたない日記を読んでいただき、ありがとうございます。
昨年も書きましたが、美容外科は年末が一年で一番忙しい時期です。
お正月休みという、年に一度の長期休暇を利用して、たくさんの方が手術を受けてくださいます。
札幌美容形成外科も、31日は手術はありませんでしたが、手術後の抜糸や診察をいたしました。
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とうとう、日記を毎日更新して、365日、一日も休みませんでした。
‘継続は力なり’は、代々木ゼミナールの玄関に大きく書かれている言葉です。
私は、予備校時代から、この‘継続は力なり’を座右の銘としてきました。
皆様のアクセス数に励まされて、忙しくても、疲れていても、毎日欠かさず更新しました。
実は、かなり苦労して書いています。
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平成19年12月18日からは、新しいフォームを、クロスロードの須崎克之さんに制作していただきました。
携帯から読む時に、読みやすくなったと好評をいただいています。
2008年からは、新しいフォームだけになります。
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今年は、マスコミの方にも読んでいただきました。
私が、今年、一番嬉しかったのは、週刊文春の取材を受けたことでした。
自分が愛読している、週刊文春から取材申し込みのお電話を受けた時には、まさかと思いました。
ライターの恵原さんは、医師以上に医学知識に富んだ方でした。
私が、知らない‘医学常識’をたくさん教えていただきました。
平成19年9月30日の日記に書いた、自殺予防ケアは、患者さんの家族にFAXして差し上げ、自殺予防に役立ちました。
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この日記の目的は、私の考えや夢・ロマンなどを書き残すためです。
形成外科の専門雑誌に、いくら論文を書いたところで、一般の方の目にとまることはありません。
日記は、世界中の方にリアルタイムで読んでいただけます。
コピー&ペーストでどこかに貼り付けられる可能性もあります。
それだけ、私の考えが広く伝わるのでよいことだと思っています。
ホームページの良いところは、自分の考えをダイレクトに伝えることができる点です。
私のような‘変人’でも、信用して手術を受けていただくには、日記を読んでくださるのが一番の早道です。
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2007年は、皆様にとって、どんな年でしたでしょうか?
私にとっては、‘厄年か?’と思うような、実に多難な年でした。
家庭内のゴタゴタから、多難な年のはじまりでした。
札幌美容形成外科が入居している、スノー会舘ビルの建替え問題もありました。
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どちらも、解決はしておりません。
ビルの建替えは、当初の計画より、大幅に遅れそうです。
他テナントの問題もあり、最低でもあと一年は現在地で診療を続けられる見込みです。
大家さんとの関係は良好です。
トラブルもありません。
ただ、交渉は私が診療の合間にできるほど簡単ではないので、弁護士さんにお願いしました。
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弁護士さんに交渉をお願いしたのは、スムーズに交渉を進めるためです。
補償など、お金が絡む問題は、法律の専門家に論理的に公正に対処していただくのが一番だと思っています。
もし、仮店舗での診療になったとしても、札幌駅から徒歩5分以内という立地条件は厳守したいと思います。
医療業を営む者としては、患者様の利便性を第一に考えたいと思います。
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今年もたくさんの方に助けていただき、一年が終わりました。
この場をお借りして、心から御礼申し上げます。
本当にありがとうございました。
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私自身は、どの位の方のお役に立ったか?わかりません。
ご迷惑をおかけしたり、苦情を申し立てられた方もいらっしゃいました。
この場をお借りして、お詫び申し上げます。
本当に申し訳ございませんでした。
来年も、微力ながら少しでも社会のお役に立ちたいと思っています。
どうぞ、よろしくお願い申し上げます。
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最後に、お正月も返上して頑張っていらっしゃる受験生の皆さん。
努力は必ず報(ムク)われます。
体調に気をつけて頑張ってください。
皆様、よいお年をお迎えください。
院長の休日
はじめてのクロール
私は、2002年(平成14年)12月から、宮崎先生のおすすめでスポーツクラブへ通うことになりました。
私が選んだのは、スイミング。
日本人の恥と言われた、屈辱からです。
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最初に入ったクラスが‘はじめてのクロール’でした。
クロールどころか、バタ足も満足にできませんでした。
何度か、家内に教えを請いましたが、
『バタ足になっていない』
『膝が曲がっている』
そんなこと言われたって、本人は膝が曲がっているかどうかが、わからないのですから…。
昔、スキーを教えてあげたこともあったのに…
家内には冷たく見放されました。
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はじめてのクロールの担当は、若くて美人の先生でした。
お名前は愛先生でした。
夜、20:00~20:50までのコースで、週に一回でした。
一クラス約15人程度でしたが、男性は私を入れてわずか数人。
大部分が、若い女性ばかりのコースでした。
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若いお嬢さんのクラスで、先生も若い女性の先生。
一見、よさそうに思えますが、48歳のおじさんには、恥ずかしいという気持ちしかありませんでした。
私の良きクラスメイトになってくれた、数少ない男性が、元拓銀マンだった杉山さんでした。
杉山さんがいなければ続かなかったと思います。
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はじめてのクロールでは、まず、息のしかたから教えてくださいました。
『はい、本間さん、ぱぁして!』
『ぱぁ。ゲボ…(水を飲んだ音)』
何度、プールの美味しい水を飲んだことかわかりません…。
鼻から空気を出すことや、水を飲まないで、空気だけ吸う‘わざ’を親切に教えてくださいました。
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次は、バタ足。
膝が曲がっていると言われても、本人はまっすぐにしているつもりです。
プールサイドにつかまって、ばたばたバタバタ。
先生が、足を引っぱって、曲がらないようにバタ足を教えてくださいました。
次は、ビート板につかまって、バタ足で15mを往復です。
もう一回するんですかぁ~?って言いたくなるほど、疲れました。
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はじめて、数ヵ月は、本当に泳げるようになるのか…?という毎日でした。
25mプールを、さっそうと泳いでいる人を見て、自分もいつかは25mを泳げるようになりたい…と思っていました。
たまに、どう見ても70歳を超えていると思われる女性が、25mどころか、数百mを悠々と泳いでいる姿を拝見しました。
家内の母は、70歳を超えていましたが、水泳が上手でした。
私と同じように、50歳近くではじめたそうです。
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一度、家内の母と一緒にプールへ行きました。
『あまり、力を入れないで、ゆっくりと泳ぎはったらいい(関西弁です)』
『賢一さんも、必ず泳げるようになりますよ』
『足は、そんなにバタバタすると疲れるから、もう少しゆっくりがいい』
さすが、苦労して覚えた、おばあちゃんは指導が上手でした。
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バタ足の次に苦労したのが、肩でした。
男性は女性よりも、肩関節の可動域がせまいようです。
50肩にはなっていませんでしたが、とにかく腕を回すのがきつかったです。
特に苦労したのが左。
ようやく腕を回すことができるようになるまでに、数ヵ月かかりました。
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はじめてのクロールは、6ヵ月毎に新しいクラスになります。
はじめて、一年近く経った頃には、あまり無理をせずに泳げるようになりました。
最初に通ったスポーツクラブは、今は通いづらいので別のクラブに通っています。
はじめてのクロールから5年経った今は、毎回300mくらい泳いでいます。もちろんノンストップです。
開業してからは、ハワイに行く時間がなくなってしまいましたが、日本人の恥は返上しました。
いつか時間ができたら、またハワイの海へ行ってみたいと思っています。
スイミングも継続は力なりです。
きっかけを下さった宮崎先生と、根気よく教えてくださった先生に感謝しています。
院長の休日
日本人の恥
私は、札幌の手稲→美唄→夕張→札幌で育ちました。
どちらかというと、海より山で育ったので、泳ぐのは苦手でした。
昭和45年4月に札幌西高校へ入学して、初めて体育で水泳を習いました。
西高では、水泳は必修でした。
確かクロールで25m泳げないと、進級できませんでした。
温水プールでもない、屋根もない屋外プールで、ブルブル震えながら水泳授業がありました。
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西高の時は、25mは泳げなかったのですが、何とか進級はできました。
途中で、立って休んででも、25mまでたどり着けば‘合格’させていただきました。
その後、泳ぐ機会もなく、何十年も過ぎました。
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平成14年(2002年)に大学を追い出されて、美容外科の雇われ院長にさせていただきました。
大学を辞めると、もう休めないだろうと思い、辞める直前に有給休暇を使って、ハワイへ行きました。
4泊6日で一人10万円程度のパックツアーでした。家内と息子の3人で行きました。もちろんエコノミークラスです。
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宿泊はシャワーの出があまりよくないようなホテルでした。
いつかは、Hiltonに泊まってみないなぁ~。と思いながら、ABCマートでおにぎりを買って食べていました。
私は、人が多い、ワイキキビーチには行かず、レンタカーを借りて、北のWaimea Beach Park(ワイメアビーチパーク)へ行きました。
ハワイの海はとてもキレイで、熱帯魚やカメが泳いでいました。
私は、ABCマートで買った、浮き輪につかまり、熱帯魚やカメを見て楽しんでいました。
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日本人の旅行者は少なく、私たち親子くらいでした。
砂浜の岩陰で休んでいる時に、米国本土からいらしたご一家と英語で話していました。
私が医師で、これから美容外科医になると話すと、奥さんからたくさんの質問を受けました。
2002年でしたが、ボトックスによるシワ取りについてたくさん聞かれました。
ハワイにまで行って、質問を英語で受けるとは夢にも思っていませんでしたが、楽しく会話していました。
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息子に、英会話の大切さを話して、ちょっと得意になっていました。
ところが、息子と家内いわく。
『お父さん、赤い浮き輪につかまってカメを見ていた時に笑われていたょ!』
『何っ?溺れて(オボレテ)死ぬより、浮き輪の方が安全だよ…』と言ってはみたものの…
『お父さん、カッコ悪いよ。日本人の恥だょ!』
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家内は、中学校の時に水泳部だったらしく、泳ぎは上手でした。
息子も子供の時にスイミングを習ったので、一応、泳げました。
カナヅチは私だけでした。
でも、スイミングに行くチャンスもなく、2002年8月から、私は中央クリニック札幌院の院長にさせていただきました。
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中央クリニックは、とにかく、めちゃくちゃ忙しい美容外科でした。
2002年8月には、まだ競合するクリニックが少なかったこともあり、毎日朝から夜まで手術でした。
私は手術のしすぎで、手に豆ができ、腰痛になりました。
中央クリニックが入居している、都心ビルに、北大の先輩である、宮崎先生が整形外科を開業していらっしゃいます。
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宮崎先生に腰痛をご相談すると、『本間先生、何か運動している?』と聞かれました。
『忙しいですし、時間もないので、運動はしていません』と答えると、宮崎先生は…。
『これあげるから、行ってごらん』とスポーツクラブの招待券をくださいました。
そこで、私は48歳にしてスイミングをはじめることになりました。
入ったクラスが、‘はじめてのクロール’でした。
続きはまた別の日に書きます。
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2002年7月24日(ハワイにて)
日本人の恥と言われて
スイミングを始めるきっかけとなりました
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医療問題
弁護士の力
昨日、ご紹介した、高橋智(タカハシサトル)先生が担当された事件です。
平成19年12月6日(木)北海道新聞夕刊の記事です。
留辺蘂の診療報酬詐取
院長に無罪判決
札幌地裁
診療報酬の架空請求で約920万円をだまし取ったとして、詐欺などの罪に問われた北見市留辺蘂町旭一区、「小助川クリニック」院長小助川治被告(46)の判決公判が12月6日、札幌地裁で開かれ、井口実裁判官は無罪(求刑・懲役四年)を言い渡した。
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小助川被告は、2005年2月から7月にかけて、札幌の医療事務会社社長(詐欺などの罪で一審有罪確定)と同クリニック事務員(同)に指示し、実際には行っていない虚偽の診察内容を記した診療報酬明細書を作成させ、北海道国民健康保険団体連合会などから、約920万円をだまし取ったとして起訴された。
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公判で小助川被告は、診療報酬の水増し請求があった事実は認めたが、「不正に関与していない」として無罪を主張していた。
弁護人の高橋智弁護士は「客観的な証拠はなく、水増しを実行した医療事務会社社長の供述で罪をかぶせられた、典型的な冤罪(エンザイ)事件」と話している。
(以上、北海道新聞より引用)
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この事件に関して、高橋先生はご自身のSammy通信で次のように書かれています。
2007/12/06
●詐欺事件で一審無罪判決をとりました。
本日、診療報酬請求をめぐる詐欺事犯で、無罪判決をとりました。裁判に約1年を要しました。
事案は、病院の事務方と外部委託業者が診療報酬を水増し請求していたことに、病院長も共謀者として関与していたとして、逮捕勾留起訴されたという案件でした。
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共謀を裏付ける事実はないこと、病院は当時健全経営をしており不正をする理由は全くないこと、病院長はそのような不正を行うような人格ではないことなどを一貫して主張して参りました。
病院長は逮捕・勾留されても、一貫して容疑事実を否認していました。
保釈を求める嘆願書が数千通患者の皆さんや地域の皆様から寄せられました。
皆さん、病院長の無罪を確信していました。
本当に、無罪判決が出てよかったと思っています。
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反響も大きく、年内10件目の無罪事件(昨年は2件)としてテレビや新聞で大きく取り上げられていました。
特に、読売新聞の記事はよかったと思いました。
私にとっては、弁護士生活16年目にして、通算4件目の無罪判決(器物損壊事件、放火事件、控訴審で逆転有罪判決が出て現在上告中の特別背任罪)でした。
(以上、Sammy通信より引用)
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私は、小助川先生と面識はなく、同じ札幌医大の卒業生という関係だけです。
診療報酬の不正請求は、診療所や病院にとって命取りになります。
公的な病院ですら、不正請求で指定取り消しを受けたところがあります。
最近は、レセプトという、診療報酬請求書を紙に印刷せず、磁気媒体で提出する医療機関もあります。
紙で一枚一枚チェックしていた時代はともかく、磁気媒体で操作を加えられると、院長でもわかりません。
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確かに、医療機関の経営者として、実際の診療と報酬が合わないことに気づかなかったのは、落ち度があると思います。
ただ、診療報酬が振り込まれるのは、診療した2ヵ月後以降になります。
一人ずつ、○○さん、○○円と明細がついてくるのではありません。
まとめて、お金が振り込まれるので、ちょっと位、増えても減っても気づかないことは考えられます。
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小助川先生は、地域住民に信頼されており、『不正なんかする先生ではない』という信念が、無罪判決を勝ち取ったのだと思います。
高橋先生のHPには、北大法学部時代に苦労した、給湯室の話しなどもあります。
ぜひ一度ご一読いただけると幸いです。
医療問題
弁護士さんの日記
医者とか弁護士を選ぶのは、とても難しいことです。
有名な‘先生’だからといって、必ずしも‘良い’先生とも限りません。
自分との相性もあります。
弁護士さんを選ぶのは、医師にとっても難しいことです。
逆に、医師を選ぶのも、弁護士にとって難しいことかもしれません。
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医者も弁護士も‘先生’と呼ばれる職業です。
有名大学や旧帝大を卒業していれば、‘良い’先生かというと、必ずしも当たりません。
頭が良くて、有名大学に合格し、司法試験も一発で受かった‘先生’が良い先生とは限りません。
弁護士さんにも、ご専門があります。
性格やお金に関しても、人によって大きく異なります。
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さすがに、百均なみの‘安売り弁護士’さんはいないと思いますが、何がご専門なのか?なかなかわかりません。
弁護士も、医師と同じように、広告規制があり、宣伝できる内容に制限があります。
この辺も、良い弁護士を見つけるのが難しい原因かもしれません。
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市立札幌病院の医療安全委員会の外部委員に就任されていらっしゃる、高橋智(タカハシサトル)先生という弁護士さんがいらっしゃいます。
高橋先生は、札幌南高校から北海道大学法学部をご卒業。1996年に独立開業なさった先生です。
高橋先生が、弁護士版の‘院長日記’を書いていらっしゃるのを見つけました。
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高橋先生の日記はSammy通信
私の院長日記より、おしゃれです。
高橋先生が、2007年9月19日のSammy通信、
『49%・・北海道大学ロースクール生新司法試験合格率』
の中で、次のように述べられています。
札幌も毎年30ないし40名の弁護士が増えています。
数多い弁護士の中でどの弁護士を依頼するかは、依頼する側からすると重要な問題になってくるでしょう。
どの病院を選ぶのかにも似ています。
逆に、弁護士の側からいうと、良質なサービスを提供している事務所はますます忙しくなり、そうでない事務所は経営が厳しくなると言うことを意味しているということでしょう。
できるならば、依頼者の皆様に信頼される事務所の側でいられるようがんばっていきたいと思います。
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HPを拝見して、高橋先生とお話しする機会がありました。
まったく偶然にも、高橋先生が、12月20日に書いた、挿管困難症例の、患者側弁護を担当されたことがわかりました。
私は運命的な出会いを感じました。
高橋先生は、正義感溢れる、素晴らしい弁護士さんです。
逆に、医療側にとっては、とても手ごわい弁護士さんだと思います。
私は、高橋先生のHPを拝見して、医療側が考えなければならないことが、たくさんあると強く感じました。
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人間いつどこで病気になるかわかりません。
医者を選ぶのも寿命のうちと言います。
私を含めて、人間いつどこで、弁護士さんのお世話になるかわかりません。
無実の罪や冤罪(エンザイ)がゼロではないことは事実です。
刑務所に入るか、無罪放免になるかは、弁護士の腕しだい?
私の大学の後輩の先生が、今年、高橋先生に助けていただきました。
日記にはその人の‘人となり’が出ます。私は高橋智(サトル)先生をおすすめします。
医学講座
毛を剃ると濃くなる?
平成19年12月25日、朝日新聞朝刊に次の記事が掲載されていました。
暗い所で本「目悪くなる」
医学的根拠ない、と米チーム
米国で一般によく信じられている体に関する言い伝えについて、科学的な根拠について調べたものです。
今日はこの中から、『毛を剃ると濃くなる』という言い伝えについて解説します。
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この論文のタイトルはMedical myths(医学神話)。
2007年12月22日発行の英医学誌「ブリティッシュ・メディカル・ジャーナル」クリスマス特別号に掲載されました。
米国、インディアナ大のチームがまとめました。
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論文執筆者は、Rachel C Vreeman先生。
インディアナ大、小児医療研究所の研究員の先生です。
ブリティッシュ・メディカル・ジャーナルは英国の権威ある医学雑誌です。
日本語に訳すと、英国医学雑誌。略称、BMJです。BMJで検索すると、HP(英語)が出てきます。
本題の、毛を剃ると濃くなるについて、もう少し詳しく解説します。
次の英文が、BMJに掲載された原文です。
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Shaving hair causes it to grow back faster, darker, or coarser
BMJ 2007;335:1288-1289 (22 December)
Rachel C Vreeman, fellow in children’s health services research,
Aaron E Carroll, assistant professor of paediatrics
Children’s Health Services Research, Indiana University School of Medicine, Indianapolis, IN, USA
Another common belief is that shaving hair off will cause it to grow back in a darker or coarser form or to grow back faster.
It is often reinforced by popular media sources and perhaps by people contemplating the quick appearance of stubble on their own body.
Strong scientific evidence disproves these claims.
As early as 1928, a clinical trial showed that shaving had no effect on hair growth.
More recent studies confirm that shaving does not affect the thickness or rate of hair regrowth.
In addition, shaving removes the dead portion of hair, not the living section lying below the skin’s surface, so it is unlikely to affect the rate or type of growth.
Shaved hair lacks the finer taper seen at the ends of unshaven hair, giving an impression of coarseness.
Similarly, the new hair has not yet been lightened by the sun or other chemical exposures, resulting in an appearance that seems darker than existing hair.
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参考文献
1. Paus R, Cotsarelis G. The biology of hair follicles. N Engl J Med 1999;341:491-7.
2. National Women’s Health Resource Center. Shaving dos and don’ts for teens. 2003.
3. Trotter M. Hair growth and shaving. Anatomical Record 1928;37:373-9.
4. Saitoh M, Uzuka M, Sakamoto M. Human hair cycle. J Invest Dermatol 1970;54:65-81.
5. Lynfield YL, Macwilliams P. Shaving and hair growth. J Invest Dermatol 1970;55:170-2.
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毛を剃ると濃くなるという、‘迷信’は、日本だけではなかったようです。
そして、1928年という、いまから80年も前に、科学的に、毛を剃っても濃くならないことを証明した人がいました。
せっかく、80年前に研究してくれた人がいたのに、迷信は信じられたままでした。
毛で悩んでいるのは、日本人だけではないようです。
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英文部分の翻訳です。
Yahoo翻訳に、コピー&ペーストしても翻訳してくれます。
最初の行から、USAまでは、論文のタイトルと著者、共著者、所属、住所です。
Another common belief isからが、本文です。
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毛を剃ると濃くなるというのも、よく間違われる迷信です。
毛を剃ると、プツプツとなるので濃くなったと思います。また、間違った解説をしているサイトもあります。
剃っても毛が濃くならないという、科学的な証拠があります。
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古く1928年には、剃っても毛が濃くならないことを、臨床試験が示しています。
近年の研究でも、剃っても濃くもならないし、生える早さも同じことが確認されています。
毛の剃られている部分は、‘死んだ’部分で、生きているのは、皮膚の下の部分です。
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毛を剃ると、毛先の細くなっている部分がなくなります。
生えてきた毛先が、剃られて太くなっているので、ブツブツとした印象を与えます。
光が当たっても、濃くなったように見えるのです。
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あまり、上手な訳ではありませんが、毛は剃っても濃くならないということが書かれています。
参考文献には、1928年のものがあります。
1970年の文献では、斉藤M先生という、日本人の研究も見られます。
それだけ、毛では世界中の人が昔から悩んでいたことがわかります。
ここには書かれていませんが、レーザー脱毛は偉大な発明だったと思います。
医学講座
数学と医学
医学部の入試で、数学が難関であることを書きました。
私は、中学時代も高校時代も数学が得意科目で好きでした。
高校1年の数学は、原田先生という、北大理学部数学科卒の先生でした。
授業中に、北大の学生生活のお話しをしてくれて、私もいつか北大に行きたいと思ったものです。
私の記憶が正しければ、原田先生も、北大恵迪寮(ケイテキリョウ)にいらした筈です。
■ ■
普通の高校数学レベルでしたら、誰でもあまり苦労せずに学ぶことができます。
ところが、医学部の入試レベルになると、途端に難しくなります。
特に、札幌医大の数学は、‘変な問題’が出ていました。
数学者には、面白い問題なのかもしれませんが、普通高校の受験生には難しかったです。
一つの問題を何時間考えても、解(カイ)はでませんでした。
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私は、数学の勉強法を誤りました。
公式を覚えて、ある程度教科書レベルの練習問題をすると、高校の定期試験は合格点がもらえました。
ところが、札幌医大の入試問題には、手も足も出ない問題がありました。
私は、数学にはある種の‘ひらめき’が必要だと思っていました。
確かに、同じように問題を解いていても、瞬間的に素晴らしい解を見つけられる人がいました。
そのような人は、生まれつき特別な思考回路を持っていると思っていました。
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私の高校・予備校時代には、旺文社の大学受験ラジオ講座という番組がありました。
北海道では、STVラジオで早朝に放送されていました。
それを、テープに録音して、聴いていました。
私が好きだったのが、数学鉄則ゼミの寺田文行(テラダブンコウ)先生です。
早稲田大学理工学部の教授でした。
寺田先生の数学は、難解な問題をいとも簡単に解いてしまう‘鉄則’が売りでした。
札幌予備学院では、年に一度くらい、寺田先生の特別講義がありました。
当時、札幌で有名な先生の講義を聴講できるのは夢のような話しでした。
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大学受験ラジオ講座では、もう一人、有名な先生がいらっしゃいました。
勝浦捨造先生です。この先生は、東北大学助教授から、代々木ゼミナールの副校長になられました。
勝浦先生の数Ⅰは、奇抜な問題はなく、基礎的な問題をこつこつと解くやり方でした。
決して諦めてはいけないということを繰り返し述べられていました。
医学部向けの数学にしては、簡単すぎましたが、私は毎回聴いていました。
数学が苦手で嫌いだった友人が、勝浦先生のラジオ講座で好きになり、数学の成績がUPしました。
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勝浦先生が亡くなられた時に、新聞のお悔やみ欄に掲載されました。
私は、その切抜きをしばらく捨てられずに保存していました。
放送では、解説よりも激励が多かった勝浦先生でしたが、解答集には丁寧な解説がついていました。
毎年、最後の放送では、旧制三高(京都大学)の寮歌、逍遥の歌【紅萌ゆる岡の花(クレナイモユルオカノハナ)】を歌われました。
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私が数学の勉強法を間違ったと気付いたのは、予備校の時でした。
数学者になる人は別として、医学部受験レベルの数学は、難しい問題を何問解いたかという‘経験’だと気付きました。
勝浦捨造先生が、『いいですか、どんな難問でも、同じ問題を13回解いてごらんなさい。必ずできるようになります。』と言われたお言葉を、今でも覚えています。
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医学も経験がものを言います。
どんなに頭の良い先生でも、自分の経験に勝るものはありません。
難しい病気も、難しい手術も、良い指導者について経験を積んだ先生が、いとも簡単に治すことができるようになるのが医学です。
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受験の数学で、医学に一番役立つのが、ミスをしないという、確認作業の繰り返しです。
数学はどんなに、立派に問題を解いても、最後に+と-を間違えると、零点です。
『注意一秒、ケガ一年』。私が予備校時代に考えた言葉です。
最後に確認しないで、一問、間違えると、また一年浪人が待っているという意味です。
臨床医学の現場では、ちょっとしたミスも許されません。
受験の数学で繰り返し確認するという習慣は、35年後の今でも役立っています。
センター試験まで、あと一ヵ月です。受験生のみなさん元気で頑張ってください!
院長の休日
美しいハーモニー
私は昭和48年に札幌西高校を卒業しました。
私の同期に、サーカスの叶高(カノウタカシ)くんがいます。
若い方は、あまりご存じないグループかもしれません。
私たちの年代には、1978年のMr.サマータイム、
1979年のアメリカン・フィーリングなどが、馴染み深い曲です。
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叶(カノウ)くんは、西高時代は陸上部でした。
私は同じクラスになったことはありませんでした。
私の親しい友人が、叶くんと同じ陸上部で、友人の友人という関係でした。
彼は、日大芸術学部へ進学、スター誕生というTVに出演しました。
1978年にMr.サマータイムが出た時には、驚きました。
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私は、サーカスのハーモニーが好きになり、よく聴いていました。
医者になってからは、仕事が忙しく、コンサートへ行くことはありませんでした。
帯広厚生病院に勤務していた時に、帯広公演へ行ったのが最初でした。
帯広では、札幌西高校出身の産婦人科の津村先生と一緒に聴きました。
その時に、卒業後25年ぶりくらいで会いました。
卒業後、はじめて、生で聴いたサーカスのハーモニーは素晴らしかったです。
心が癒されるというか、聴いていて、心が豊かになるようなハーモニーでした。
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サーカスは、お姉さんの、叶正子(カノウマサコ)さん、弟の叶央介(カノウオウスケ)さん、央介さんのお嫁さんの原順子(ハラジュンコ)さんの4人グループです。
結成30周年目を迎える、日本を代表するコーラスグループです。
2007年10月6日の東京を皮切りに、神戸、浜松、で30周年コンサートを開催中です。
2008年1月27日(日)大阪厚生年金会館・芸術ホール。
2008年2月1日(金)名古屋市芸術創造センター。
2008年3月1日(土)新潟市民芸術文化会館・劇場
2008年3月15日(土)札幌市教育文化会館
2008年3月16日(日)富良野文化会館
2008年3月22日(土)よこすか芸術劇場で開催されます。
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叶くんは、札幌市立平岸中学校から、札幌西高校へ進学しました。
叶くんの家は、お母さんが音楽好きで、小さい頃から、子供に歌を歌わせていたそうです。
3人姉弟の子供たちに、最初にハーモニーを教えたのがお母さん。
お母さんご自身が、NHKに出るほどの音楽好きだったそうです。
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3人の子供たちは、小さい頃から、自然とハーモニーを覚え、プロとして活躍しています。
サーカスのハーモニーは、聴く人の心に残ります。
音楽を通じて、人の心を癒すことができるのは、素晴らしいことです。
叶くんは、私と同じ53歳。サーカスのリーダーとして、活躍中です。
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私は、高校時代は、医学部だけを目指す集団ではなく、音楽・芸術など幅広い分野を目指す生徒がいた方がよいと思います。
札幌西高校は、札幌南高や札幌北高に比べると、医学部合格者は少なく、私も苦労しました。
でも、卒業して35年もたったみると、私は札幌西高に入学して、ほんとうによかったと思っています。
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医学部に入れば、イヤでも周囲は医者を目指す人ばかりです。
高校の時の友人に、ミュージシャンがいたりすると、自分とは関係がない領域のことを知ることができます。
私は、医学で人を治す仕事。叶くんは音楽で人を癒し、安らぎを与える仕事です。
2008年3月15日(土)札幌市教育文化会館の30周年コンサートへは、是非行こうと思っています。チケットはウエスで発売中です。
医療問題
医学部進学
北海道と北海道教育委員会が、医進指定校をつくる話しがありました。12月21日の日記に書いた制度です。
私は、この医進指定校制度に反対です。
理数系の教員を増員して受験指導を強化するのは、まだよいとしても、道内医大の協力を得て現役医大生による夏季講習を行っても合格者が増えるでしょうか?
そもそも、地方の医師不足の原因の一つに、地方では医師の子供の教育が十分にできない?という不安があります。
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札幌南高校、札幌北高校など、超一流の進学校でも、医学部現役合格は難しいのが現実です。
札幌南は、北大医学部にたくさんの合格者を出していますが、それでも現役合格できるのは、せいぜい上位30番以内だと思います。
地方の進学校で、北大(医)、札幌医大(医)に二桁の現役合格者を出した例は、過去にないと思います。
それくらい医学部は難関です。
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医学部を目指す受験生が、一番最後までひっかかるのが数学です。
私も数学で落ちました。
これは今も昔も同じようです。
医学部に入ってからは、確率・統計くらいしか利用しない、数学が難しいのです。
普通の高校数学レベルでは、‘絶対に’合格できないと思います。
高校生のうちから、‘大学への数学’なんてのが、スラスラできる人は、医学部の入試も何てことはないのですが、そんな人はマレです。
地方の高校で、北大(医)や札幌医大(医)に現役合格できるような生徒は、何か特別な教育を受けているか、生まれついての天才です。
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札幌市内の進学校ですら、常に成績上位者にいなければ国公立大医学部へ現役合格は難しいのです。
私のような、‘凡人’は、高校3年間、必死に勉強して、落ちて浪人して、予備校でわき目もふらず勉強して、ようやく合格できるのが医学部です。
普通の高校生が、医師になりたいからといっても、‘簡単に’合格はできません。
推薦入学やAO入試を実施している大学もあります。
ただ、そもそも推薦をもらえるような生徒は、センター試験と入試でも合格できるレベルの人です。 そこに到達するのが難しいのです。
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私は、平成10年から平成14年まで、札幌医大の教員を4年間しました。
確かに、優秀な学生さんが多かったのは事実です。
ただ中には、『あなた、どうして入学したの?』というような学生もいました。
札幌医大に入ったのは、単に成績が良くて、他に行くところもなかったので、‘来てしまった’という学生がいました。
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私の札幌医大の同級生は約100人です。
それぞれが、日本中で医師として活躍しています。
同期ではありませんが、大学の途中で退学してしまった人がいました。
医学部の入学試験の選抜方法も難しいと思います。
どんな小論文と面接試験をしても、本当に医師に向いた人だけを選抜するなど至難のわざです。
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私の考えは、高校から医進クラスはいらないと思います。
文系を目指す人、理系を目指す人、東大を目指す人、北大を目指す人、いろいろな生徒がいるほうがよいと思います。
医学部の入試を易しくする必要もないと思います。
必要なのは、地方の高校にも優秀な教員を派遣し、地方でも東大や北大に入れるレベルの高校を作ることです。
東大に入れる生徒は、北大(医)や札幌医大(医)には入れます。
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昔、札幌西高の先生が言われた言葉を覚えています。
『私がこれから赴任する興部(オコッペ)高校は、東大に現役で入った生徒がいます』
『君たちも、興部高校に負けないように頑張りなさい。』
必要なのは地方でも、東大に現役合格できるレベルの高校をつくることです。医学部に特化した進学コースは不要です。
医療問題
医師不足解消
昔から、医学部の入学試験は難関でした。
私が、札幌医大を目指していた昭和48年は、オイルショックや医師不足が問題になった頃です。
その当時に発足したのが、一県一医大構想でした。
各県に最低一つの医科大学か医学部をつくり、医師不足を解消しようという政策でした。
四国などは、北海道より狭い地域に、国立医大が4つの各県にできました。
一番古いのが、昭和23年設立の徳島大学医学部。
次が昭和48年にできた愛媛大学医学部。
昭和52年に高知医大。
昭和53年に香川医大ができました。
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昭和48年に一県一医大構想ではじめて設立された国立医大が、旭川医大、山形大学医学部、愛媛大学医学部の3校でした。
地方の医師不足解消のために、国の肝いりで国立医大を新設したのです。
昭和48年開学の3大学は、国会審議の遅れから、大学の入学試験があったのが11月でした。
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受験資格があったのは、3月に入試を落ちて‘浪人’していた学生だけでした。
ラッキーといえばラッキーです。
受験できたのは、浪人生だけだったのです。
しかも、11月に入試があったとはいえ、合格してしまえば‘現役’合格です。
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私は、ちょうどその時に浪人していて、札幌予備学院の医進クラスに在籍していました。
旭川医大を受けましたが、落ちました。
‘現役’最後の受験が11月にあったのです。
この3つの新設国立医大に全国から、理系の受験生が殺到しました。
旭川医大は、3大学の中では易しいと言われましたが、合格できたのは、来春に北大(医)が合格確実な学生でした。
私は、旭川医大の社会科2科目という‘難関’のため、高校でまともに勉強をしなかった日本史を選択しました(高校の担任だった、日本史の藤枝先生ごめんなさい)。
最後の現役合格は、無残に消え、また浪人に戻りました。
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11月に合格が決まり、旭川教育大学の施設を借りた、仮校舎で、旭川医大一期生の勉強がスタートしました。
確か、12月頃に入学式があり、冬休み・夏休み返上で、教育がスタートしたと聞いています。
私が知っている人には、旭川医大に合格しながら、進学せず、翌年に北大医学部に進学した人もいました。
現在、旭川医科大学学長になられた、眼科の吉田先生は、この優秀な旭川医大一期生です。
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国はいろいろな政策を考えて、地方の医師不足を解消しようとします。
この、一県一医大構想ができた時には、将来は医師過剰時代になり、医師の失業者がでると真剣に言われたものでした。
いくらお金をかけて、医科大学を新設しても、入学者定員を増やしても、地方の医師不足解消にはなりません。
地方で働くお医者さんが、自分の仕事に生きがいを持てて、働きやすい環境を作ることが大切です。
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僻地医療のために設立された、自治医大の卒業生は、北海道でも確かに地域医療を支えています。
大学医学部で、地域医療講座の担当教員となって活躍している先生にも、自治医大出身者が多いと聞いています。
自治医大以外の政策で、僻地医療が改善したのは、あまり聞いたことがありません。
医学部の入学定員を増やしても、入試方法を変えても、医師が地域で働きたくなるような政策がないと、地方の先生は増えません。