昔の記憶
日本製紙、釧路の紙事業から撤退
今日は2020年11月9日(月)です。
札幌はとうとう雪景色になりました。
自転車通勤はあきらめました。
道路にうっすらとシャーベット状の雪が積もっています。
これから寒くなって冬になります。
この時期は毎年つらいです。
今年はコロナ禍で例年以上につらいです。
北海道は過去最多の200人札幌も最多158人で、
また記録を更新してしまいました。
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今日は新聞休刊日です。
新型コロナと米国大統領選挙の報道が目立ちます。
最近の記事で気になったものを紹介します。
2020年11月6日(金)、北海道新聞朝刊の記事です。
日本製紙、釧路の紙事業から撤退 新聞や雑誌向け需要減、来年8月
日本製紙は11月5日、釧路工場(釧路市)での製紙事業から撤退すると発表した。デジタル化や新型コロナウイルス感染拡大の影響で新聞や雑誌向けの紙の需要が落ち込み、回復は望めないと判断した。2021年8月に生産を終える。従業員約250人の雇用は維持するとしている。
釧路工場の現在の生産能力は年間約22万トンで、日本製紙の新聞・印刷用紙の約6%を担う。撤退による減産分は同社の別工場に集約し、一部は他社に委託する。釧路工場で主力の新聞用紙は最盛期の2006年度に35万トンを生産したが、長引く需要減で2019年度は11万6千トンとピーク時の3分の1以下に落ち込んでいた。
日本製紙は近年、紙の需要減を受けて生産体制を集約している。道内では今年1月、北海道工場勇払事業所(苫小牧市)での製紙事業から撤退。釧路工場でも昨年7月に抄紙機3台のうち1台を止めて生産能力を落としたが、コロナ禍で需要減が想定以上に進んだ。釧路の製紙撤退で約54億円の固定費削減を見込む。
釧路工場で2004年から行っている発電・売電事業は継続する。ただ人員は数十人程度に限られる見通し。勇払では新たにバイオマス発電事業に着手しているが、釧路では製紙に替わる新規事業の予定はないという。
野沢徹社長は11月5日、北海道新聞の取材に「工場操業開始から100年間、地元の皆さんにお世話になった。撤退を打ち出さざるを得ないのは悔しく、断腸の思いだ」と述べた。
日本製紙がこの日発表した2020年9月中間連結決算は、売上高が前年同期比10.9%減の4674億円、最終的なもうけを示す純損益は80億円の赤字だった。コロナ禍を受けた新聞・印刷用紙の需要減が主な要因。釧路工場の製紙事業撤退に伴い約50億円の特別損失を計上したことも響いた。(権藤泉、米田真梨子)
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釧路出身の人には、
日本製紙という社名より、
十條製紙じゅうじょうせいしという名前がピンとくると思います。
2020年11月7日、北海道新聞の記事です。
日本製紙釧路、紙生産撤退 商店主「閉店検討も」
【釧路】日本製紙が来年8月に釧路工場(釧路市)での製紙事業からの撤退を決めたことで、工場のお膝元・鳥取地区は大規模な人口流出が避けられない状況となった。関連会社を含む約500人の従業員の約9割が他地域への配置転換となる見通しで、日本製紙の“城下町”として栄えてきた同地区では落胆や事業撤退を惜しむ声が上がっている。
「地域住民がこれ以上減るのであれば、店をたたむことも考えないと」。鳥取地区で20年以上営業を続けるある商店主(65)は肩を落とした。営業を始めた当時は近隣の公園に子どもの声が響き渡りにぎやかだったが、釧路工場の規模縮小に伴い、親子連れの姿もまばらになった。「下請けや孫請け企業にも影響が出る。決して日本製紙だけの話ではない」と懸念する。
1880年代に旧鳥取藩(現鳥取県)の士族が移住したことに由来する鳥取地区は、釧路市中心部から北西約3キロに位置する。富士製紙釧路工場が1920年(大正9年)に操業を始め、合併や会社分割で十條製紙、日本製紙と名前が変わる中、工場発展とともに栄えてきた。最盛期の1960年代には工場だけで従業員数が1300人強に上った。近隣では大規模な社宅が次々と整備され「十條」を冠した商業施設も立ち並んだ。
十條の名は今も金融機関の支店名や飲食チェーンの店舗名に残り、地域住民が工場に愛着を持つ理由の一つになっている。父の代から工場の隣接地で飲食店を60年間営む広羽征二さん(77)は「長い間営業を続けられたのは、日本製紙のおかげ」と感謝する。
長年、釧路のシンボルだった釧路工場の高さ120メートルの煙突に思いを寄せる地元住民も少なくない。鳥取地区に住む田中千代さん(75)はしみじみと語る。「煙突の煙はここに住む人たちにとって目印みたいなもの。煙が出なくなる日が来るなんて、とても信じられない」(今井潤、今井裕紀、高橋尚哉)
(以上、北海道新聞より引用)
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十條じゅうじょうという名前がついた施設がたくさんありました。
十條スケートリンク
十條ショッピングセンター
私が釧路労災病院形成外科に勤務した頃には、
よく十條ショッピングセンターに行きました。
とても立派な施設で多くの釧路市民が利用していました。
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新聞用紙の需要が減って撤退というのが気になります。
私(66歳)や私の母親(92歳)は北海道新聞を購読しています。
私の子供たちを含めて、
若い人たちが新聞を購読していません。
米国では多くの新聞社がなくなっています。
北海道新聞は大丈夫ですが、
札幌市内で全国紙の販売店が減っています。
これも時代の流れなのでしょうが、
新聞社にもがんばっていただきたいです。
“日本製紙、釧路の紙事業から撤退”へのコメント
コメントをどうぞ
今年も自転車通勤お疲れさまでした。
雪がなくなるまでお休みですね。
良いことで記録更新ならいいですが
コロナの感染者数では困ります。
十條という名前は釧路では知名度が
高いのですね。初めてお聞きしました。
若い人はスマホやパソコンでの
情報収集で満足しているようですが
新聞購読は継続していこうと思って
います。
【札幌美容形成外科@本間賢一です】
コメントをいただきありがとうございます。感染者数が更新を続けるのは残念です。北海道だけGO TOから除外されると、せっかく戻ってきたお客さんがまた減ります。何とかしてほしいです。釧路市民には十條製紙やじゅうじょうという名前が浸透しています。北海道新聞にはがんばっていただきたいです。
十條という名前、知りませんでした。
何でもデジタル化なので
紙媒体が少なくなりましたね。
スケジュール帳だけは
紙媒体にこだわってます。
スマホより見やすいと私は思います。
これから益々寒くなり
通勤が大変ですね。
地下鉄大通駅で下車ですか?
【札幌美容形成外科@本間賢一です】
コメントをいただきありがとうございます。釧路市民には十條じゅうじょうという名前がしっくりきます。時代の流れで紙が少なくなるのですね。地下鉄は大通駅ですが、チカホを歩くこともあります。
製紙会社も、各社、M&Aを繰り返し、王子製紙、日本製紙が日本の製紙業を牽引してきました。昨今のデジタル化による紙媒体の需要減は、実はかなり前から進んでおり、更には原油価格や原材料の高騰で紙の値上げも行われている状況でした。
この逆風の苦しい同じ状況の中、日本の製紙業のトップ1(王子製紙)と2(日本製紙)で、次の一手(新たな新規事業開拓)に大きな差が付いてしまい、日本製紙は大きく差を開けられてしまったのは事実です。
王子製紙、日本製紙は共に北海道と深く長い歴史があり、地域社会になくてはならない産業です。両社共に頑張ってほしい。
夏、釧路を訪れたことのあるひとであれば、きっと霧とあのパルプの香りを肌で感じられたはずです。
【札幌美容形成外科@本間賢一です】
コメントをいただきありがとうございます。日本の製紙業界のことは知りませんでした。教えていただきありがとうございました。確かにデジタル化で紙は少なくなっていますね。苫小牧市や江別市には王子製紙の工場があり、苫小牧市の王子総合病院は医療機関として重要な役割を担っています。
すみません。天気が悪く困っています。ふじりんごの季節になりますが、熊がりんごを食べて困っています。
【札幌美容形成外科@本間賢一です】
お忙しいのにコメントをいただきありがとうございます。今年は台風が来なくてよかったと思っていましたら熊なんですね。熊は怖いので銃を持ったハンターでなければ無理だと思います。熊に襲われると大変です。くれぐれも気をつけてください。