医学講座

中嶋優子先生_日経ウーマン・オブ・ザ・イヤー2025

 今日は2025年6月21日(土)夏至です。
 北海道新聞に札幌医大の全面広告が出ていました。
 私が尊敬する中嶋優子先生です。
 日経ウーマン・オブ・ザ・イヤー2025になられたそうです。
 おめでとうございます。
 道新の広告はとても全部を載せられないので、
 電子版の記事を見つけました。
      ■         ■
 伸びゆく君へ国境なき医師団日本の代表 中嶋優子さんかっこいい自分大切にして
 世界各地の紛争地で、医療支援などに取り組む国際組織「国境なき医師団(MSF)日本」の会長を務める。札幌医科大出身の救急医、麻酔科医としてパレスチナ自治区ガザなどで、戦禍にさらされる命に向き合う。
 生まれはニューヨーク。父は総合電機メーカーの社員で、母と4歳下の妹と共に計11年間米国で育ちました。地元の学校に通っていましたが、家では英語が禁止で、日本語だけで会話していました。日本人であるというアイデンティティーを大事にしようという教育方針だったと思います。あまり人見知りもしないタイプだったので友達もいたけれど、どこか「アウェー」を感じながら生きていました。
 小学5年で帰国。東京の公立の小中高校に進んだ。将来の道を決める転機は、あるテレビ番組を見たことだった。
 米国生まれでしたが、むしろホームに帰ってきたという感じを覚えました。高校は帰国生も多かった都立高校に入学しました。1年生のころは、満員電車での通学が嫌で、こっそり自宅に帰ってしまうなど、あまり真面目な生徒ではありませんでした。そんな時、テレビで国境なき医師団の特集を見たんです。「すごい。かっこいい」。そして医者になりたいと思いました。ただ、成績は悪く、特に理数系はひどかった。担任の先生は「絶対、無理」。でも、私はその時に「世の中に絶対とかないじゃん」と思ったんです。
 1浪し札幌医科大に入学。初めての北海道生活を楽しんだ。
 小さいことはあまり気にしないおおらかな道民気質がすごく自分に合っていました。札医大ではアイスホッケーに打ち込みました。それでも日本の医師国家試験には合格し、卒業後の2008年には米国の国家試験にも合格。順調に医師として経験を積む中、思い出したように国境なき医師団に登録しました。09年です。初めての派遣は10年のナイジェリアでした。その後、シリアや南スーダンにも行きました。厳しい現場で、淡々と患者に向き合うことが試されます。過酷な状況下ですが、現場で医療活動をしていると「自分たちは見捨てられていないんだ」と思ってもらえる。希望をもたらす存在になれていることに、私はやりがいを感じました。
 今、医師団の役割は大きくなっているという。
 国境なき医師団は、政府からの拠出金がほぼ無い組織です。政治的なしがらみがありません。目で見たありのままの現状を世界に伝えることができます。今、米国政府が人道上の活動資金をカットしたりしていますが、私たちには直接的な影響がありません。ただ、一緒に活動していた組織がどんどん活動を縮小しています。そういう意味で、私たちは最後のとりでになっているのだと強く感じています。
 医師団は医療活動に加え、世界の状況を広く発信する活動も行う。日本の若い世代に伝えたいことがある。
 どの国に生まれたか、ただそれだけのことで、生活に天と地の差があります。平和な日本に生まれたのだから、何かができるはずだ。そういうマインドを一部の志高い人だけではなく、みんなが少しずつ持ってくれれば、自分たち自身、そして自分の国をかっこいいと思えるようになるはずです。紛争地に行っても、日本人はすごく頼りにされるし、尊敬もされている。国際舞台で「かっこいい日本」をつくってほしいです。
 自分の道を信じ続け、今がある。若い人へのメッセージには「鈍感力」としたためた。
 私は高校の時に「絶対無理」と言われましたが、その時に抱いた「そんなはずはない」という根拠のない自信が、結果的に人生で一番役立ちました。医師団を「かっこいい」と思えた自分を大切にしたんです。いろんな情報があって、どう進めばいいのか分からなくなる若い人は多いと思いますが、ひかれるものが見つかったらそれを大切にしてほしい。周囲に何を言われようとも、鈍感に突き進んでください。その先に、かっこいい自分がいるはずです。
 札医大ではアイスホッケー部に所属しましたが、実は経験ゼロ。「かっこいい」と思って始めたんです。女子部員はおらず、男子部員と同じ練習でした。それでも、楽しすぎて、医学部の仲間が5~6年生で医師の国家試験のために引退する中、「ホッケーやめるなら、国家試験落ちてもいい」と思うぐらい夢中になり、卒業間近まで続けました。
 なかじま・ゆうこ 1975年生まれ。札医大卒業後、都立墨東病院麻酔科の常勤医などを経て、米国の医師国家試験に合格し、米国救急専門医の資格を取得。2009年に国境なき医師団に登録。これまでシリア、イエメン、パキスタンなど計9回の海外派遣活動に参加。現在、米国を拠点に活動。22年から現職。(聞き手・矢野旦)

東倫太朗 撮影


(以上、北海道新聞より引用)

      ■         ■
 一番下の写真は中嶋優子先生の学生時代です。
 私が解剖学教室でした研究を手伝ってくださいました。
 ほんとうに勉強熱心な学生さんでした。
 中嶋優子先生はほんとうにかっこいいです。
 これからもお身体に気をつけて、
 がんばっていただきたいです。
 朝からすごい広告を見つけてうれしいです。

“中嶋優子先生_日経ウーマン・オブ・ザ・イヤー2025”へのコメント

  1. なっちゅん より:

    中嶋優子先生、
    日経ウーマン・オブ・ザ・イヤー2025
    おめでとうございます。

    お身体に気をつけて下さい。
    今後のご活躍を期待してます。

    本間先生、
    色々お気遣い
    ありがとうございます。

    咳をしても一人
    という自由句を
    今、噛み締めています。

    【札幌美容形成外科@本間賢一です】
    ご愁傷様です。深い悲しみの中、コメントをいただきありがとうございます。私の母親のように95歳で亡くなっても悲しいのに、若すぎる死はとてもつらいです。心からご冥福をお祈りいたします。

  2. えりー より:

    私も今朝、新聞の大きな広告を
    見つけて、本間先生が、教えて
    くださったことだと思いながら、
    記事を読みました。

    中嶋優子先生のお言葉で、

    ⚫︎医療に限らず人道援助は、困っている人の役に立ちたいという思いがあれば、それが始まりです。まずは関心を持って、何ができるのかを一緒に考えてもらえるだけでも良いのです。身近な人道援助に関心を持つ人が増え、社会全体が、世界中で困っている人に優しくなって、人道援助に取り組んでいくようになることを願っています。

    ⚫︎社会で求められる資質は、情熱に決断力、語学力、体力、免疫力などいろいろあると思いますが、間違いなくその一つは「鈍感力」です。周囲からの評価、批判を気にせず、自らを信じて歩み続け、周囲の空気に惑わされない鈍感さがあればキャリアをのびのびと楽しく切り開いていくことができるのではないでしょうか。

    という部分に感銘を受けて、
    マーカーペンで線を引きました。

    【札幌美容形成外科@本間賢一です】
    コメントをいただきありがとうございます。中嶋優子先生は素晴らしいかっこいいの一言です。私はこんなに大きな札幌医大の広告を見たのははじめてです。札幌医大の卒業生の一人として感慨深いものがあります。

  3. さくらんぼ より:

    暑かったです。ブドウの葉が弱ってきたので冠水をしました。
    札幌医大の先生方は優秀で勇気がある先生方が多いですね。
    中嶋先生は素晴らしいです
    来世はそんなかっこいい生き方をしたいです。

    【札幌美容形成外科@本間賢一です】
    お疲れのところコメントをいただきありがとうございます。暑い中の作業お疲れ様です。札幌医大の卒業生の中でも中嶋優子先生は特別です。自分の命が危ないのに紛争地に行く先生はめったにいません。私は世界一おいしい果物を作るさくらんぼさんの生き方はかっこいいと思います。

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