院長の休日
はじめてのクロール
私は、2002年(平成14年)12月から、宮崎先生のおすすめでスポーツクラブへ通うことになりました。
私が選んだのは、スイミング。
日本人の恥と言われた、屈辱からです。
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最初に入ったクラスが‘はじめてのクロール’でした。
クロールどころか、バタ足も満足にできませんでした。
何度か、家内に教えを請いましたが、
『バタ足になっていない』
『膝が曲がっている』
そんなこと言われたって、本人は膝が曲がっているかどうかが、わからないのですから…。
昔、スキーを教えてあげたこともあったのに…
家内には冷たく見放されました。
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はじめてのクロールの担当は、若くて美人の先生でした。
お名前は愛先生でした。
夜、20:00~20:50までのコースで、週に一回でした。
一クラス約15人程度でしたが、男性は私を入れてわずか数人。
大部分が、若い女性ばかりのコースでした。
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若いお嬢さんのクラスで、先生も若い女性の先生。
一見、よさそうに思えますが、48歳のおじさんには、恥ずかしいという気持ちしかありませんでした。
私の良きクラスメイトになってくれた、数少ない男性が、元拓銀マンだった杉山さんでした。
杉山さんがいなければ続かなかったと思います。
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はじめてのクロールでは、まず、息のしかたから教えてくださいました。
『はい、本間さん、ぱぁして!』
『ぱぁ。ゲボ…(水を飲んだ音)』
何度、プールの美味しい水を飲んだことかわかりません…。
鼻から空気を出すことや、水を飲まないで、空気だけ吸う‘わざ’を親切に教えてくださいました。
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次は、バタ足。
膝が曲がっていると言われても、本人はまっすぐにしているつもりです。
プールサイドにつかまって、ばたばたバタバタ。
先生が、足を引っぱって、曲がらないようにバタ足を教えてくださいました。
次は、ビート板につかまって、バタ足で15mを往復です。
もう一回するんですかぁ~?って言いたくなるほど、疲れました。
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はじめて、数ヵ月は、本当に泳げるようになるのか…?という毎日でした。
25mプールを、さっそうと泳いでいる人を見て、自分もいつかは25mを泳げるようになりたい…と思っていました。
たまに、どう見ても70歳を超えていると思われる女性が、25mどころか、数百mを悠々と泳いでいる姿を拝見しました。
家内の母は、70歳を超えていましたが、水泳が上手でした。
私と同じように、50歳近くではじめたそうです。
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一度、家内の母と一緒にプールへ行きました。
『あまり、力を入れないで、ゆっくりと泳ぎはったらいい(関西弁です)』
『賢一さんも、必ず泳げるようになりますよ』
『足は、そんなにバタバタすると疲れるから、もう少しゆっくりがいい』
さすが、苦労して覚えた、おばあちゃんは指導が上手でした。
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バタ足の次に苦労したのが、肩でした。
男性は女性よりも、肩関節の可動域がせまいようです。
50肩にはなっていませんでしたが、とにかく腕を回すのがきつかったです。
特に苦労したのが左。
ようやく腕を回すことができるようになるまでに、数ヵ月かかりました。
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はじめてのクロールは、6ヵ月毎に新しいクラスになります。
はじめて、一年近く経った頃には、あまり無理をせずに泳げるようになりました。
最初に通ったスポーツクラブは、今は通いづらいので別のクラブに通っています。
はじめてのクロールから5年経った今は、毎回300mくらい泳いでいます。もちろんノンストップです。
開業してからは、ハワイに行く時間がなくなってしまいましたが、日本人の恥は返上しました。
いつか時間ができたら、またハワイの海へ行ってみたいと思っています。
スイミングも継続は力なりです。
きっかけを下さった宮崎先生と、根気よく教えてくださった先生に感謝しています。