院長の休日

日本人の恥

 私は、札幌の手稲→美唄→夕張→札幌で育ちました。
 どちらかというと、海より山で育ったので、泳ぐのは苦手でした。
 昭和45年4月に札幌西高校へ入学して、初めて体育で水泳を習いました。
 西高では、水泳は必修でした。
 確かクロールで25m泳げないと、進級できませんでした。
 温水プールでもない、屋根もない屋外プールで、ブルブル震えながら水泳授業がありました。
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 西高の時は、25mは泳げなかったのですが、何とか進級はできました。
 途中で、立って休んででも、25mまでたどり着けば‘合格’させていただきました。
 その後、泳ぐ機会もなく、何十年も過ぎました。
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 平成14年(2002年)に大学を追い出されて、美容外科の雇われ院長にさせていただきました。
 大学を辞めると、もう休めないだろうと思い、辞める直前に有給休暇を使って、ハワイへ行きました。
 4泊6日で一人10万円程度のパックツアーでした。家内と息子の3人で行きました。もちろんエコノミークラスです。
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 宿泊はシャワーの出があまりよくないようなホテルでした。
 いつかは、Hiltonに泊まってみないなぁ~。と思いながら、ABCマートでおにぎりを買って食べていました。
 私は、人が多い、ワイキキビーチには行かず、レンタカーを借りて、北のWaimea Beach Park(ワイメアビーチパーク)へ行きました。
 ハワイの海はとてもキレイで、熱帯魚やカメが泳いでいました。
 私は、ABCマートで買った、浮き輪につかまり、熱帯魚やカメを見て楽しんでいました。
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 日本人の旅行者は少なく、私たち親子くらいでした。
 砂浜の岩陰で休んでいる時に、米国本土からいらしたご一家と英語で話していました。
 私が医師で、これから美容外科医になると話すと、奥さんからたくさんの質問を受けました。
 2002年でしたが、ボトックスによるシワ取りについてたくさん聞かれました。
 ハワイにまで行って、質問を英語で受けるとは夢にも思っていませんでしたが、楽しく会話していました。
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 息子に、英会話の大切さを話して、ちょっと得意になっていました。
 ところが、息子と家内いわく。
 『お父さん、赤い浮き輪につかまってカメを見ていた時に笑われていたょ!』
 『何っ?溺れて(オボレテ)死ぬより、浮き輪の方が安全だよ…』と言ってはみたものの…
 『お父さん、カッコ悪いよ。日本人の恥だょ!』
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 家内は、中学校の時に水泳部だったらしく、泳ぎは上手でした。
 息子も子供の時にスイミングを習ったので、一応、泳げました。
 カナヅチは私だけでした。
 でも、スイミングに行くチャンスもなく、2002年8月から、私は中央クリニック札幌院の院長にさせていただきました。
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 中央クリニックは、とにかく、めちゃくちゃ忙しい美容外科でした。
 2002年8月には、まだ競合するクリニックが少なかったこともあり、毎日朝から夜まで手術でした。
 私は手術のしすぎで、手に豆ができ、腰痛になりました。
 中央クリニックが入居している、都心ビルに、北大の先輩である、宮崎先生が整形外科を開業していらっしゃいます。
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 宮崎先生に腰痛をご相談すると、『本間先生、何か運動している?』と聞かれました。
 『忙しいですし、時間もないので、運動はしていません』と答えると、宮崎先生は…。
 『これあげるから、行ってごらん』とスポーツクラブの招待券をくださいました。
 そこで、私は48歳にしてスイミングをはじめることになりました。
 入ったクラスが、‘はじめてのクロール’でした。
 続きはまた別の日に書きます。

2002年7月24日(ハワイにて)
日本人の恥と言われて
スイミングを始めるきっかけとなりました

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