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夕張市立鹿島中学校
平成18年11月8日の日記に書いたように、私は夕張市立鹿島中学校を昭和45年3月に卒業しました。
卒業時のクラスは、3年A組でした。担任は渡辺熈(ワタナベヒロシ)先生、担当は社会科でした。
当時の夕張市は、まだ炭鉱が栄えており、商店街も、街自体も繁栄していました。
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私が住んでいた大夕張(オオユウバリ)は、夕張市役所があった、夕張本町から、バスで約1時間弱、山奥へ入ったところにありました。
夕張川の源流である、シューパロ川があり、夕張岳が見える、風光明媚な場所でした。
そこに、小学校2校、中学校1校、高校が1校ありました。
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私は中学1年の5月に、美唄市茶志内から、夕張市鹿島へ引っ越しました。
引っ越した当時にいじめられたのは、昨年11月8日に書いた通りです。
私がいじめられた時に助けてくれたのが、同級生のT君でした。
T君は、私を助けた覚えはないと言いますが、私はしっかり覚えています。
T君は、小樽商科大学を卒業して、札幌銀行へ入行。今は札幌市内の支店長です。
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今日、40年ぶりにT君と食事をして、中学校時代の卒業記念アルバムを見て、昔話に花を咲かせました。
一人では、なかなか思い出せないことも、2人揃うとすらすらと想い出します。
○○さんは、可愛かったとか。
○○さんと、○○が付き合っていたけれど、その後どうなったとか……
何で本間はいじめられた?とか……。
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私は高校から、越境入学(5%の特別枠というのがありました)で、札幌西高校へ入学しました。
T君は、地元の進学校である夕張北高校へ入学し、見事に現役で小樽商科大学へ入学しました。
私の記憶は中学時代で途切れていますが、T君は高校のこともよく覚えています。
私たちが通った、夕張市立鹿島中学校は、ダム工事のため、もう少しでダムの底に沈んでしまいます。
校舎自体も、炭鉱閉山による人口減で、とっくに取り壊されています。
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育った街が消えてダムの底に沈んでも、私たちの記憶の中では生き続けています。
T君は支店長、私は院長。
社会的な立場は違っても、昔に戻ると、
…だったべ
…だったなぁ
と懐かしく話せます。
昔の友達はよいものです。
自分が年をとったせいでしょうか?昔の話をしていると、時間を忘れて話せました。
そのうち、他の仲間にも会ってみたいと思っています。