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受験生の夏
今日の新聞に来年の国公立大学の募集要項が掲載されていました。
私が高校生だった、35年前は前期・後期ではなく、一期校・二期校という分け方でした。
一期校は3月上旬の3日とか4日に試験日があり、二期校は3月20日過ぎが試験日でした。
一期校に落ちた人が行くのが二期校というイメージでした。小樽商科大学のように二期校でありながら、第一志望にされる大学も例外的にありました。
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一期校は旧帝大の、東大・京大などを代表とする有名国立大学です。北海道では、一期校は北大でした。
札幌医大は、北海道が設立した公立大学でしたが、試験日は一期校と同じ3月3日と4日でした。
今は、前期が札幌医大、後期が北大医学部という併願も、しようと思えばできますが(実際にこのパターンは少ないと思いますが…)、昔は‘絶対に’札幌医大と北大は併願できませんでした。
今も昔も、レベルは北大医学部(北医)が札幌医大(札医)より上です。模試の成績判定で北医A、札医Aなんて人は本当に上位の数人だったように思います。
ちなみに私は札医Aがついたのが、予備校の秋以降だったと思います。だいたいは札医Bくらいだったでしょうか?
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試験科目は、北医は理科2科目で、理科は物理が必須。生物と化学から一科目選択でした。札医は理科が物理・化学・生物から2科目選択でした。
物理が苦手だった私は、この時点で北医は諦めていました。予備校時代に少しずつ成績がUPしてはいたものの、私の周囲には、前年に北医A札医Aで常に成績上位だったのに、どういう訳か?北医に落ちて2浪している人が何人かいました。
私の目標は、1浪で札幌医大に入ることでした。
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3月に落ちて、4月に予備校に通い始めて、あっという間に夏になり、お盆も過ぎていました。
‘受験は夏で決まる’なんてことを予備校の先生から言われました。数えてみると、あと半年でまた試験です。
今はセンター試験が1月にありますので、あと5ヵ月です。
私は、数学の問題はさっぱり解けないし、成績もUPしないし、模試の判定も変化なしという状況でした。
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自治医大という大学が栃木県にあります。僻地(ヘキチ)のお医者さんになる人を育成するために作られた大学です。
都道府県が奨学金を出してくれるので、授業料は実質タダ。その上、生活費としてお小遣いまで貸してくれる大学です。
試験日も、国公立大学の前にありましたので、一期校や二期校と別に受験できました。
かなり倍率が高い大学で30倍以上あった記憶があります。そこの判定はいつも自治医Dとかでした。
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暑くて勉強をしていても、頭がぼ~っとしてなかなか進みません。
浪人したけど、来年は大丈夫かなぁ~?と不安な日々を送っていました。
予備校の同じクラスには、私よりずっと優秀だったのに落ちた人がいました。自分も2浪かなぁ~?2浪はしたくないなぁ~。という毎日でした。
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西高に入学した頃は大の苦手だった英語の成績がUPしてきていました。ラジオの英語会話も聴いていたので、聞く力がついていました。ヒアリングはほぼ100%できるようになりました。
私は特別頭が良かった訳ではありません。ただ、この日記を毎日書いているように、辛抱強く、諦めずに続ける力はこの頃につきました。
北医Aでも落ちた人がいる。私なんか現役の時は札医Cくらいが最高でした。今、自分が浪人しているのは当然の結果だ。開き直りとも諦めともとれる心境でした。
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不安でも、毎日コツコツ勉強を続けました。もちろん‘彼女’の‘カ’の字もありません。ひたすら毎日勉強でした。
パチンコやマージャンをしていた予備校生もいましたが、私は酒もタバコも一切しませんでした。
こうして、勉強を続けた結果、翌春には、札幌医大と自治医大に合格できました。
自治医大には北海道から3人が合格しました。あとのお二人は北医に合格。私の合格は‘奇跡’と言われました。判定がDでしたから。
受験生の皆さん、決して最後まで諦めないでください。
一度、挫折を味わって一年間努力した人は必ず後から報(ムク)われます。私の人生哲学です。