昔の記憶

渡辺淳一先生を偲ぶ①

 作家で札幌医大の先輩である、
 渡辺淳一先生がお亡くなりになりました。
 各紙で報道されています。
 読売新聞北海道版に、
 渡辺先生と同期の飯村攻先生と写った写真が掲載されていました。
 今日は読売新聞の記事を引用して、
 渡辺淳一先生を偲びたいと思います。
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 平成26年5月6日、読売新聞朝刊の記事です。
 渡辺淳一さん死去
 80歳失楽園」「遠き落日
 「失楽園」「ひとひらの雪」など男女の関係を突き詰めた恋愛小説などで知られる作家の渡辺淳一(わたなべ・じゅんいち)さんが4月30日午後11時42分、前立腺がんのため東京都内の自宅で死去した。80歳だった。告別式は近親者で済ませた。 喪主は妻、敏子さん。後日、お別れの会を開く予定。
 北海道生まれ。札幌医大卒業後、整形外科医の傍ら同人誌に作品を発表、1965年、「死化粧」で新潮同人雑誌賞。上京後の70年、「光と影」で直木賞を受賞し、医学小説を開拓した。素顔の野口英世を描く「遠き落日」(吉川英治文学賞)など伝記支学も手がけたが、80年代からは成熟した男女の恋愛に着目。「桜の樹の下で」などの話題作で、「新しい情痴文学」と称された。97年に刊行の「失楽園」は男女関係の壮絶な描写が反響を呼び、上下巻計260万部を超すベストセラーに。中高年の不倫を意味する「失楽園」は流行語大賞に選ばれた。
 エッセーも多く2007年の「鈍感力」もミリオンセラーに。03年に紫綬褒章、菊池寛賞。76歳の時から前立腺がんを治療していた。

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 読売新聞北海道版に掲載された記事です。
 渡辺淳一さん死去
札医大在学中から文才
人間の内面、高い描写力
 上砂川町出身の直木賞作家、渡辺淳一さんが80歳で亡くなった。札幌医科大の元整形外科医という異色の経歴を持ち、北海道を舞台にした作品も多く残した。訃報が明らかになった5日、大学時代の同期生やファンらは、渡辺さんの死を悼むとともに、あらためて功績をたたえた。
 渡辺さんの転換点となったのが「和田移植」だ。1968年、札幌医科大の和田寿郎教授(当時)が国内初の心臓移植を行ったが、患者が82日後に死亡、社会問題化した。
 渡辺さんは当時、同大の講師。同期生で元同大病院長の飯村攻(いいむらおさむ)さん(83)によると、渡辺さんは当初、和田教授を擁護していたが、調べるにつれて多くの疑問点を感じていったという。
出版社の依頼を受け、まとめたのが「小説心臓移植」だった。
 執筆後、学内の風当たりが強くなり、渡辺さんは「手術室にいづらくなった」とぼやいていたといい、30歳代半ばで講師を辞し、上京して専業作家を目指すようになった。
 作家としての才能は、大学時代から周囲に知られていたようだ。医学を勉強する傍ら、学内誌に小説を発表しており、飯村さんは「文章が非常になめらかで読みやすかった」と振り返り、「和田移植がなくても、彼は専業作家になっていたと思う」との見方を示した。
北海道の自然、愛描く舞台
 渡辺さんの小説は、男女の愛を描く舞台として、北海道の自然や季節の移ろいを印象的に使っているケースが少なくない。
 初期の代表作「阿寒に果つ」では、冬の阿寒で自殺した天才少女画家と、彼女にひかれた男性たちの交流を、雪の札幌などを舞台に描いた。流氷観光に紋別へやってきた女性と、流氷研究家との愛を描いた「流氷への旅」は、曲折を経て2人が結ばれた後、「翌朝、オホーツクに面した一帯は、白い氷におおわれ、その日から、北国の長く静かな冬が始まった」との一節で小説を結んでいる。
  「花埋(うず)み」はヽ明治時代に現在のせたな町で医院を開業した、日本女医第1号となった荻野吟子(おぎのぎんこ)の生涯を描いた。札幌大学の山崎真紀子教授(日本文学)によると、「花埋み」など渡辺さんの作品は、体の動作などを徹底的に描写することを通じ、人間の内面を伝えることに優れているという。山崎教授は「渡辺さんは物語性が注目されがちだ高い描写力も持ち合わせていた」と評した。
 舞台となったせたな町を訪れるファンは、作品発表から40年以上たった今も後を絶だない。高橋貞光町長は「『花埋み』が日本酒の名称に使われるなど、作品は町民にも親しまれている」と語った。
 1998年には札幌市中央区に渡辺淳一文学館が建設された。5日に文学館を訪れた札幌市の医師、津島隆太さん(26)は「渡辺さんの作品には、感情や経済状況といった患者の側面を見ることの大切さが描かれていた」と惜しんだ。
 出身地の上砂川町の堀内哲夫町議会議長は「渡辺さんの活躍に町民は誇らしさを感じ、元気をもらっていた」と話した。

20140506
札幌市で聞かれた2007年の日本老年学会総会で写真に納まる。
(左から)渡辺淳一さん、飯村攻さんの妻の京子さん、飯村さん、現札幌医科大学長の島本和明さん=飯村さん提供

(以上、読売新聞より引用)
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 私は浪人していた予備校時代に
 渡辺淳一先生の本をたくさん読みました
 お金がなかったのに、
 新刊がでると単行本を買いました。
 リーブルなにわという本屋さんに良く生きました。
 渡辺先生は札幌南高。
 南高にはすごい女の子がいるなぁ~
 …と思って読んだのが阿寒に果つ(あかんにはつ)でした。
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 私の父親が勤務していた、
 三菱大夕張炭鉱病院にも、
 よく整形外科医として出張にいらしたそうです。
 父親から渡辺先生のことを聞いていたので、
 より親近感を持って読んだのだと思います。
 先生の本に札幌医大大学院生の頃、
 地下の実験室でウサギで実験をした話しもありました。
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 私が札幌医大形成外科講師だった時、
 札幌医大の講堂で渡辺先生の講演会がありました。
 大先輩を近くで拝見し感動しました。
 講演の中で、
 『心臓移植を書いたことで大学を去ることになった』
 …と残念そうに話していらしたのを記憶しています。
 まさかその後、自分も札幌医大を去ることになるとは、
 当時は考えてもみませんでした。
 偉大な先輩の死をとても残念に思います。
 私には到底まねのできない生き方です。
 心からご冥福をお祈りしています。 

“渡辺淳一先生を偲ぶ①”へのコメント

  1. なっちゅん より:

    昨日、訃報を知りました。
    私は心臓移植に至る、溺れた青年と海で遭遇しました。
    小さかったのでよくわかりませんが。

    渡辺淳一さんの初期の医療ものが好きでした。

    ご冥福を心よりお祈りします

  2. さくらんぼ より:

    テレビで訃報を知り札幌医大出身である小説家なんて異色だなあ。と思いつつ 不倫のイメージがあり 本を読んだことはありませんでした。 白い巨塔は渡辺さんが執筆されたのかなあと思っていましたが山崎豊子さんでした。 心よりご冥福をお祈りいたしております。

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