院長の休日
想い出の唄
弁護士の高橋智(さとる)先生の日記
Sammy’sダイアリーに
先生の想い出の唄
柴田まゆみの「白いページの中に」が
掲載されていました。
狭い真駒内団地の一室で、
両親の寝息(というよりイビキ)を聞きながら、
カーテンで仕切られた狭い空間で、
イヤホーンを耳に突っ込みながら、
勉強していた
この文章を読んだだけで
先生のお人柄が理解できます。
■ ■
私の想い出の唄は、
札幌西高校2年生の時に開催された、
札幌オリンピックの唄、
虹と雪のバラードです。
トワ・エ・モワのお二人が
歌っていました。
キレイなハーモニーが印象的です。
当時の札幌は、オリンピックを契機として、
大きく変わりました。
田中角栄さんが内閣総理大臣になった時代です。
私は西区八軒のボロ家に住んでいました。
高2の私の成績では、
医学部は夢のまた夢でした。
■ ■
そんな時代によく流れていたのが
「虹と雪のバラード」でした。
この曲を作詞なさったのが、
札幌医大整形外科初代教授の
河邨文一郎(かわむらぶんいちろう)先生でした。
作曲は荒井由実さんをデビューさせた
アルファレコードの村井邦彦さんです。
(作曲家のことは、この日記を書くために調べました)
■ ■
虹の地平を 歩み出て
影たちが近づく 手をとりあって
町ができる 美しい町が
あふれる旗 叫び そして唄
ぼくらは呼ぶ あふれる夢に
あの星たちの あいだに
眠っている 北の空に
きみの名を呼ぶ オリンピックと
■ ■
雪の炎に ゆらめいて
影たちが飛び去る ナイフのように
空がのこる まっ青な空が
あれは夢? ちから? それとも恋
ぼくらは書く いのちのかぎり
いま太陽の 真下に
生れかわる サッポロの地に
きみの名を書く オリンピックと
生れかわる サッポロの地に
きみの名を書く オリンピックと
■ ■
河邨文一郎先生は、
私が卒業する当時は、
まだ札幌医大整形外科の教授で、
附属病院長でした。
講義で下肢延長術の話しなさったことを…
なんとなく覚えています。
河邨先生の下で
整形外科の講師をなさっていらしたのが、
作家の渡辺淳一先生です。
■ ■
浪人時代によく渡辺先生の本を読みました。
初期の渡辺先生の作品は、
最近とは違って…
医師の世界を書いたものが多かったためです。
1970年代は…
日本もいまよりずっと貧しい時代でした。
私も明日はどうなるかわからない…時代でした。
毎日、必死に勉強していました。
明日の保障はありませんでしたが、
今より夢の多い時代だったように思います。
今でもこの虹と雪のバラードを聴くと、
札幌オリンピックの懐かしい時代を想い出します。
札幌オリンピック・・・生まれていないので残念ながらわかりません。
ただ虹と雪のバラードは私の大好きなマンガの動物のお医者さんで出てきていたので知識がありました。
今日の内容で驚いたのは、渡辺淳一先生です。
お医者さんで札幌で勤務していたことも知っていましたが、今は作家としての渡辺淳一先生が馴染みがあるのでなんだかびっくり!!
渡辺淳一先生の初期の本はよく本が好きなので読んでいますが、(昔のドロドロ医療系)そういえばお医者さんだったんだー!!なんかすごーい!!とミーハーになっています。
今はネットがあったり、古本屋さんも充実していますし、ネットで本が買えるので便利な世の中ですね。
渡辺淳一の小説は私も片っ端から読んでいました。最近はちょっと方向性が違って来たみたいなので読んでないです。
私は先生よりたぶん4歳位下なので、世代的には同じ時代を生きていると思います。
一昨年から今年にかけての2年間は、死ぬほど勉強しました。脳が生き返った感じがしましたが・・・試験が終わった瞬間にみごとに真っ白になりました。でも、この歳ですが勉強した事は残っているものです。たまに頭の中の引き出しから出しています。
虹と雪のバラード 私もレコードもってました。きれいなハーモニーでした。渡辺淳一先生も 講師をなさっていたのですか?てっきり作家だと思ってました。 氷点?でしたか。テレビで観たような。。私の 想い出のレコードは Carpentersのイエスタデイ・ワンス・モアでしょうか?英語で歌える唯一の曲だからです。
すみません。氷点は 旭川出身の三浦綾子さんで渡辺淳一さんは愛の流刑地?あのテーマ曲が大きな古時計 歌う不倫の曲で、 寺島しのぶさんがでた あのすごい ベットシーンがあったのが渡辺淳一さんの作品ですか?函館の看護師さん教えてください。 恥ずかしくてみれなかったのですが・・