院長の休日

想い出の唄

 弁護士の高橋智(さとる)先生の日記
 Sammy’sダイアリー
 先生の想い出の唄
 柴田まゆみの「白いページの中に」
 掲載されていました。
 狭い真駒内団地の一室で、
 両親の寝息(というよりイビキ)を聞きながら、
 カーテンで仕切られた狭い空間で、
 イヤホーンを耳に突っ込みながら、
 勉強していた
 この文章を読んだだけで
 先生のお人柄が理解できます。
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 私の想い出の唄は、
 札幌西高校2年生の時に開催された、
 札幌オリンピックの唄、
 虹と雪のバラードです。
 トワ・エ・モワのお二人が
 歌っていました。
 キレイなハーモニーが印象的です。
 当時の札幌は、オリンピックを契機として、
 大きく変わりました。
 田中角栄さんが内閣総理大臣になった時代です。
 私は西区八軒のボロ家に住んでいました。
 高2の私の成績では、
 医学部は夢のまた夢でした。
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 そんな時代によく流れていたのが
 「虹と雪のバラード」でした。
 この曲を作詞なさったのが、
 札幌医大整形外科初代教授の
 河邨文一郎(かわむらぶんいちろう)先生でした。
 作曲は荒井由実さんをデビューさせた
 アルファレコードの村井邦彦さんです。
 (作曲家のことは、この日記を書くために調べました)
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 虹の地平を 歩み出て
 影たちが近づく 手をとりあって
 町ができる 美しい町が
 あふれる旗 叫び そして唄
 ぼくらは呼ぶ あふれる夢に
 あの星たちの あいだに
 眠っている 北の空に
 きみの名を呼ぶ オリンピックと
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 雪の炎に ゆらめいて
 影たちが飛び去る ナイフのように
 空がのこる まっ青な空が
 あれは夢? ちから? それとも恋
 ぼくらは書く いのちのかぎり
 いま太陽の 真下に
 生れかわる サッポロの地に
 きみの名を書く オリンピックと
 生れかわる サッポロの地に
 きみの名を書く オリンピックと
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 河邨文一郎先生は、
 私が卒業する当時は、
 まだ札幌医大整形外科の教授で、
 附属病院長でした。
 講義で下肢延長術の話しなさったことを…
 なんとなく覚えています。
 河邨先生の下で
 整形外科の講師をなさっていらしたのが、
 作家の渡辺淳一先生です。
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 浪人時代によく渡辺先生の本を読みました。
 初期の渡辺先生の作品は、
 最近とは違って…
 医師の世界を書いたものが多かったためです。
 1970年代は…
 日本もいまよりずっと貧しい時代でした。
 私も明日はどうなるかわからない…時代でした。
 毎日、必死に勉強していました。
 明日の保障はありませんでしたが、
 今より夢の多い時代だったように思います。
 今でもこの虹と雪のバラードを聴くと、
 札幌オリンピックの懐かしい時代を想い出します。

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