医学講座

いい高校からいい大学

 今日は2021年3月7日(日)です。
 昨日の院長日記、 
 高校のランキング
 …の続きです。
 偏差値が高い、
 いい高校に入れるのは、
 15歳の時にお勉強ができたからです。
 その後の人生には関係ありません。
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 高校進学
 2008年8月31日の院長日記です。
 私たちの世代は、
 一生懸命勉強をして、
 いい高校から
 いい大学へ進学することが、
 いい子どもの条件だったように思います。
 親もそれを願って、
 経済的に苦しくても、
 子どもを札幌や函館の進学校へ出しました。
 それが親にとっての
 喜びだったようにも思います。
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 私が札幌西高校を卒業したのが
 1973年(昭和48年)3月でした。
 私は現役で札幌医大を落ちました。
 大夕張の鹿島中学校から
 函館ラサール高校へ行った友人も、
 北大を落ちました。
 同じく大夕張から札幌北高へ進学した友人も、
 北大を落ちました。
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 夕張から札幌と函館の進学校へ行った、
 私たち3人は
 全員第一志望の大学を落ちました。
 1968年(昭和45年)に
 鹿島中学校を卒業した生徒のうち、
 ただ一人北大に現役合格したのが、
 大夕張で地元の夕張東高へ進学した
 五十嵐君でした。
 夕張北高に進学した飛田君も
 小樽商大に現役合格しました。
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 夕張から外の高校へ出た3人(私も含めて)が
 高校時代に勉強をサボったのではありません。
 おそらく夕張に残った五十嵐君や飛田君が
 一生懸命、勉強したのだと思います。
 私は自分が卒業した、
 札幌西高が好きですし、
 札幌に出てきてよかったと思っています。
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 私たちの世代のエリートは、
 北大法学部や小樽商大という
 道内の難関大学を卒業して、
 北海道拓殖銀行に入行しました。
 拓銀に入ったんだってねぇ~
 すごいねぇ~
 勉強できたからねぇ~

 というコースでした。
 ところが、拓銀は経営破たん
 人生なんてわからないものです。
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 私は、人間は目標へ向かって
 努力している間が、
 一番、夢があって充実していると思います。
 その時は気づかないけれど…。
 私も高校時代に、
 ボロ家で…
 勉強ができなくて…
 成績が上がらなくて…
 苦しんでいた時代があって
 よかったと思っています。
 自分が苦しんだ経験が、
 役に立っていると思います。

中学3年の修学旅行層雲峡にて(中央が私)
下唇が出ていると言われ気にして下唇を噛んでいます

鹿島中学校があった夕張市鹿島常盤町
手前はつり橋です

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 2008年にこんな院長日記を書いています。
 この思いは今も変わりません。
 どんな人生がいい人生かもわかりません。
 私は66歳でも仕事があって、
 ちゃんとご飯を食べることができて、
 院長日記を書いて、
 コメントといただけることに感謝しています。
 いい人生だと思います。
 つたない院長日記を読んでいただきありがとうございます。

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