医学講座
戦争で死にたくない
今日は2022年10月2日(日)です。
札幌は曇りです。
今日は札幌マラソンが開催されます。
大通公園や札幌駅前通が交通規制になります。
北海道マラソンはフルマラソンで、
札幌マラソンはハーフマラソンと
1km・2km・3km・5km・10kmコースがあります。
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昨日の院長日記、
プーチン大統領ウクライナ4州の併合を宣言の続きです。
世界史に弱い私でも戦争はおろかなことだとわかります。
父親から聞いた戦争の話しです。
まさか2022年に戦争が起きるなんて、
考えてもみませんでした。
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私の父親、本間寛ほんまゆたかは、
2016年3月29日(火)に90歳で亡くなりました。
父親のゆたか少年は、
札幌工業高校の木材工芸科に進学しました。
戦争がなければ家具職人になっていたようです。
父親が卒業の時に製作した家具が、
私が子供の頃に家にありました。
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父親は1926年(大正15年)生まれです。
徴兵制度ちょうへいせいどがあり、
赤紙が来て戦争に行かされた世代です。
戦争に行きたくなかったゆたか少年は、
徴兵免除ちょうへいめんじょという制度を利用して、
戦争で死なない方法を選びました。
さすが本間家の人たちです。
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徴兵免除になるには、
医学部や薬学部に進学する方法があったそうです。
優秀だった父親の同級生には、
北大医学部に進学した人もいました。
医学部は無理だった父親は、
仙台の東北薬学専門学校に進学しました。
札幌工業高校から薬学専門学校に進学した人は、
父親以外にはいなかったようです。
父の姉が薬剤師だったことも影響したかも?です。
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私の父親は5人姉弟の2番目です。
姉(他界):薬剤師
父(他界):薬剤師
妹(他界):養護教諭
弟:医師
妹:音楽教師
一番下の妹以外は医療関係です。
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裕福な家庭ではなかったのに、
私の父親が薬剤師になったのは、
戦争があったからだと思っています。
もし徴兵制度がなければ、
ゆたか少年は家具職人になっていました。
仙台の薬学専門学校時代には、
空襲にあって山に避難したことも聞きました。
私は戦争は大嫌いです。
昔も今も戦争で死にたくないのは同じです。
ロシア人も戦争で死にたくないと思います。
戦争をやめてほしいです。